投稿日時:2019/04/28 ― 最終更新:2019/04/30

一体、世界の人間の何割が、避けようのない人生の破滅=死を、日々脳裏に浮かべながら生きているのだろう。この疑問は折に触れ湧き上がる。社会の中ではほとんどの人間がそれを「気にしてないフリ」をして生きる(少なくとも表面上は)。そんなものを持ち出しても何も解決しないし、むしろ残された時間が陰鬱なものになるだけだからだ。だから我々は忘却に努める。そしてパッと見はあたかも、この世で死を意識している人間など自分一人であるかのようである。今日では、死は一種のポルノグラフィとして隠蔽されているのだ。ラ・ロシュフコーはこの点について「死を解する人はほんの僅かである。人はふつう覚悟をきめてではなく、愚鈍と慣れで死に耐える」(『箴言集』より)と述べている。

私も他の多くの読者と同じく『かぐや様は告らせたい』(’15-)から赤坂アカの著作を遡り、この作品を読んだ。そして驚いた。作風は『かぐや様~』と180度違い、ひたすら世の不条理に対する怨嗟と、行き場のない怨念が立ち込めている。この物語は最初から救いがないことを宣言しているし、実際に根本的な救いはもたらされない。そして最終巻カバー裏の作者の想いを受け取れば、むしろこの作品こそが赤坂アカの「現実」であり、『かぐや様~』は作者のニヒリスティックな世界観の裏返しとしての、底抜けのユーモアで満たされた「フィクション」と言えるのではないだろうか。

この世は不条理に満ちている、だから人生は不幸である

例えば1巻では、いきなり少女の呪詛とでも呼ぶべき見開きが現れて度肝を抜く(図1)。

図1:赤坂アカ『ib -インスタントバレット-』1巻, 株式会社KADOKAWA, 2014年

「ねえ クロ」
「この世界は きっと終わってもいい」

『ib -インスタントバレット-』1巻

しかしこのような、不条理に対する絶叫の総集編とでも呼ぶべき描写は、別にこのマンガの中では全然珍しいものではなく、全5巻の大体の話がこういったトーンで覆われている、鬱展開の通常運行である。微かな友情や信頼が育まれる明るい描写があると、逆に奇妙に思えてしまうほどだ。

『インスタントバレット』では、始まりから1年後に全世界が破滅することが「確約」されており、その滅亡は2人の絶対的な知識を得られる能力者によって完璧に保証されている。「全人類が間もなく死に、物語の都合でそれが回避されることも100%ない」これが本作の前提である。

しかし実は世界が滅びることそれ自体は、主人公とヒロインにとって重要なことではない。何故ならこの世のあらゆる存在から疎外されている彼らに身内や仲間は存在せず、従って彼らにとって世界の破滅は、自分という個体の死により主観世界が閉じることと差異がないからだ。むしろ全ての他者に対して止めようのない恨みと殺意を抱く彼らは、避けようのない滅びの前に自ら進んで心中するべく、地球を破滅させる権利の争奪を始める(図2)。

図2:『ib -インスタントバレット-』2巻, 2014年

主人公の小宇宙が世界の命運と直結している点では「セカイ系」に属する物語と言えるし、2人のヒロインの一方的で強引な決めつけに振り回され「こういう展開のラブコメとか好きでしょ?」「知らんうちに女の子が主人公を好きになる系のラブコメが一番嫌いなんだ」といった、物語に対するメタな言説を連発する主人公などを見るに『涼宮ハルヒの憂鬱』(’03-)を連想させる。実際、主人公のクロは「とんでもなく暴力的で根暗なキョン」と言えなくもない。また主人公とヒロインが、逃げ場のない破滅を前にして世界との無理心中を企むニヒリズムは『惑星のさみだれ』(’05-10)を思い出す。

死の虚無感がむき出しになった世界

しかし繰り返すが、それらの作品と大きく異なるのは、何と言っても物語全編を覆うとてつもない不幸感と虚無感である。世界の間もなくの破滅は、物語のスケール感を増す演出というよりは、あらゆる人物に対し、死に対して正面から向き合わざるを得ない状況を強制する装置として存在する。つまりこの世界では「死のポルノグラフィ化」が機能不全に陥っているのだ。だから作中で頻繁に出てくるギャグ的な展開も、すぐに「まあでも、みんなもうすぐ死ぬんだけどね」と言わんばかりに霧消してしまい、すぐに虚無的な雰囲気へ回帰してしまう(図3)。

図3:『ib -インスタントバレット-』3巻, 2015年

それはさらに言えば「この世の不条理が剥き出しに晒されている状態」とも言える。死という現象は、恐らくこの宇宙の不条理の最たる存在であろう。そしてとてつもない不幸を背負うことによって特殊能力を身に着けたインスタントバレットの面々は、互いに互いを信頼せず、衝突の中で不条理に対する恨みを爆発させる。

インスタントバレットと人間嫌い

この物語は、戦いの中で敵対者たちが次第に連帯を強めていくような話でもない。能力者同士に微かな仲間意識は生じるが、それは細い糸で紡がれたような、非常にか細い繋がりである。

世界から疎外された存在である彼らは、他人に信頼を置くことができない。無条件の愛を受けてないので、無条件で差し出されるものに対して常に懐疑的である。作中でセラが、眠っている主人公に上着を被せようとするものの、中断して立ち去る描写がある。ここでは「仲間を作りたくても作れない」彼らの孤独の循環構造が上手く描かれている。

図4:『ib -インスタントバレット-』4巻, 2015年

孤独な人間は人が嫌いなのだろうか?人を求めるからこそ、人を遠ざけてしまうこともあるのではないか。本物の関係を求めるからこそ、無条件の関係を信じられない。友だちにはなれない。関係に理由を求めてしまう。

『ib -インスタントバレット-』 4巻

中島義道『「人間嫌い」のルール』(’07)によれば、本作の登場人物らのような「人間嫌い」に共通する資質は「自他に対する誠実さに対して過敏」であることなのだという。

以上の考察を踏まえて、人間嫌いを別の角度から見れば、自他の感受性や信念に対して誠実性の要求が高い人と言いかえてもよい。これは、さしあたり不誠実な態度に対して不寛容な感受性という形で現れる。

中島義道『「人間嫌い」のルール 』株式会社PHP研究所, 2007年

インスタントバレットの能力者たちは、まるで寒さに凍えるハリネズミである。互いに身を寄せ合いたいと思っても、互いの針が突き刺し合うから近づくこともできない。どうしようもない極寒の中で、ただただ世の中を呪いながら、目前に迫った死を受け入れるしかないというのか。

この物語はハッピーエンドではない。絶望の物語である。しかし孤独な登場人物らは、破滅の前のわずかな時間だけ他者との交感に至る。死を伴った絶叫が、不審に満ちたこの世界での、確かな真実の言葉として他者の心に到達する。作中のキーとなるある人物は、死を目前にしてなお、その幸福のあまり、不幸の産物たるインスタントバレットの特殊能力を失ってしまう。「希望に満ちたこの世界」ではなく「絶望の中にある救済」。本作は、それを描いた作品だと思うのだ。

LINEで送る
Pocket

同じテーマの記事を探す