地獄のミサワのエキセントリックな作風や、ニコニコ動画などでの破天荒な振る舞いから、作家自身も常人の思考パターンから逸脱した奇人のように映っているかもしれない。しかしこの『いいよね!米澤先生』を読むにつけて、やはり地獄のミサワは並の常識人以上に常識に対する感性の強い、むしろかなり「まともな」思考の持ち主ではないかという思いが強まる。

現実の人間が抱える「イタさ」の極端化

本作は、とにかく「非行少年たちを熱血指導したくてたまらない」という、金八先生見過ぎな感じの新任教師、米澤がどういうわけかマンガ部の顧問に就任してしまい、そこでマンガ部の部員たちへの「熱血指導」の好機を伺う、というギャグ漫画である(図1)。米澤は生徒指導自体には興味がなく、単に「熱血な展開」の主役になりたいだけのファッション熱血教師なので、全く草食的な生き方しかしないマンガ部部員たちとの間で滑稽なズレを繰り返しつつも、次第にマンガ制作にのめり込んでいく。

図1:地獄のミサワ『いいよね!米澤先生』1巻, 集英社, 2014年

ギャグに関しては相変わらずのノリというか、『女に惚れさす名言集』『カッコカワイイ宣言!』のクオリティを維持したナンセンスギャグの連発で、ミサワファン必携の作品と言っていい。路線そのものは『女に惚れさす名言集』 を引き継いでおり、身近に一定の割合で存在する自意識過剰な人間や、手段と目的が転倒を起こしているタイプの人間たちを外部から観察したときの滑稽っぷりを、彼らの振る舞いの「イタさ」を極端化することによってギャグにしている。本作の主要人物たちは、全員が何らかの形でこのような「イタさ」を抱えており、本人はそれに無自覚である。

このような人間の「ズレた部分」をギャグ化していることは、逆に彼らがどれだけズレているかを、作者自身が十分に認識・観察できているということであり、地獄のミサワ自身にはむしろ優れた常識感覚や人間観察能力が備わっていることの証左でもある。何故なら、彼のナンセンスギャグの特徴である「予想の斜め上からの裏切り」「常識の転倒」などは、裏返しの基となっている常識について十分に熟知していないと、それをどのように転倒させ、裏切ることによって面白さが生じるのかを予測できないからだ(表が分からなければ裏も分からない)。

現実のパロディとしてのミサワ作品

『いいよね!米澤先生』は、登場キャラクターの「イタさ」が常識を超えたレベルで倍加されているので、現実からかけ離れたハチャメチャなマンガに見えるが、実際には彼らのような「イタさ」は、誰しも多かれ少なかれ持っているものである。特に熱血であることが目的化している米澤や、極度の見栄っ張りで虚言癖をこじらせているシンドウの「イタさ」は、ドラマやアニメに浸りすぎて現実世界にも勢い、その設定を適用しようとする、現代人によくある「イタさ」である。日常の世界でも、現実に「ストーリー」を持ち込もうとするタイプの人間はいくらでもいる(図2)。何なら、私にだってその嫌いが全くないとは言わない。

図2:『いいよね!米澤先生』2巻, 2015年

地獄のミサワ作品は、言わば現実のパロディである。彼の手法の優れたところは、先程も述べたようなあり得ないほどの描写の極端化や滑稽化によって「現実への批評、アイロニー」といった「真面目さ」の匂いすら打ち消し、無心の笑いを引き起こす純然たるエンターテイメントに徹している点にある。

まあ色々と書いてきたが、ミサワ作品を読むときにこんな理屈を考える必要など全くなく(笑)、彼のナンセンスの前に思考は大して役に立たない。こんな考察のことはさっさと忘れて『いいよね!米澤先生』という最高のギャグを楽しもう。この作品ではマンガ部が舞台になる都合上、途中で妙に真面目な作品論やマンガ談義が挟まれるのも面白い。ミサワギャグは出オチ感が強いので、4巻あたりからボケやツッコミが段々「普通」になってしまうのがやや残念である。今回も5巻で完結したのは正解だったろう。

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投稿日時: 2019/03/17 ― 最終更新: 2019/09/17
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