投稿日時:2019/03/15 ― 最終更新:2019/03/16

普段はユーモラスな掛け合いたっぷりに、モラトリアムにある女子大生の野放図な日々を描いている「日常系」なのに、時折、不意に、青年たちが自己実現に対して抱いている安易な願望や甘えをグサリと突いてくる。『ネムルバカ』はそんな作品である。単行本1巻完結という締りの良さ、コメディとシリアスのバランス、どれを取っても申し分ない。コメディからシリアスへの急激な逆流を起こす『外天楼』と並び、石黒正数の代表的短編作品。

それにしても、石黒がこんなにメッセージ性や主張の強い話を展開するのは珍しいのである。彼の作品世界は基本的に、滑稽とナンセンスによる笑いの風呂敷によって、安寧に閉じている。高校生の日常を描いた『それでも町は廻っている』にせよ、数々の短編作品にせよ、石黒作品は現実にはあまりはみ出さず、フィクションの世界で完結する傾向がある。これは悪い意味ではなく、むしろ変な臭みや自己主張がなく、純度の高いエンターテイメントとしてまとまっているという称賛である。普通に「面白い話」「肩肘張らずに楽しめる作品」なのである。

「何者にもなれない」ループ構造

ところが、本作でミュージシャンを目指す女子大生、鯨井ルカの台詞は貫通力抜群で、現実の読者まで批判対象に含めてしまう。この言葉の破壊力は、石黒作品において例外的と言えよう。例えば第3話で、TVドラマのような恋愛を妄想し、それを1つの理想として語る後輩・入巣(いりす)に向かって鯨井は「妄想は妄想の中でウソを演じている限り実現しない」と鋭く指摘する(図1)。

図1:石黒正数『ネムルバカ』p.67, 株式会社徳間書店, 2008年

入巣の妄想とは、自分に恋心を示した見知らぬ男性と別れた後、それを追いかけて恋愛に発展する、という他愛のないものである。しかし鯨井は「そういうことがあったとして、お前実際に引き返して話相手になるか?」身も蓋もなく反駁してしまう。入巣の反論の余地は絶無である。実際に入巣はその後、面識のない男性に話かけられるのだが、恐怖を抱いて逃げ出す。入巣の妄想は所詮、ドラマかなにかで見たフィクションの展開を、人物を自分に置き換えてトレースしているだけの空想疑似体験に過ぎず、それが現実に再現されることは、まずないことがハッキリしてしまう。無論、私のようなこの台詞がドンピシャの読者は、いたたまれなくなって巻を置き、体育座りをしながら猛省である。

『ネムルバカ』は「何者か」になりたいと願う大学生たちが「何者にもなれない」まま引きずられるように大人社会へと向かっていく日常を戯画化したものであるが、鯨井ルカという人物は、作品世界にて唯一「何者か」への扉を開く女性である。恐らくマンガ家として人気を博した作者の批判精神を代弁する存在だと思われるが、彼女は「何者にもなれない」人々が陥るループ構造を繰り返し指摘する。

ネットでも拡散し有名になったものに、彼女の提唱する「駄サイクル」の概念がある。これも、内輪のサイクルに安住する「何者にもなれない」人々の病理を鋭く図式化したものである(図2)。

図2:『ネムルバカ』p.99

夢追い人とそうでない人々の断絶

一方で鯨井の対極にあるのが茶髪のチャラ男、伊藤であるが、伊藤は鯨井の言説を「あの人分かってねーな」と否定した上で、彼のような「何者にもなれない」人間のやるせなさが「何かしたいけど何ができるのか分からない」ことにあるのだと語る。ここでは、自己実現に向かって猛進し続けることが当然の生き様となっている鯨井のような人間と、それ以外の人間との認識の断絶が描かれている。

この両者の理解不能性は、鯨井の主観視点によって「ワケの分からぬことを語る異生物」として表現される(図3)。鯨井は伊東のような男の、自分の可能性に早々に見切りをつけた生き様が全く理解できない。

図3:『ネムルバカ』p.131

鯨井にとって、自己実現に向かってあらゆる努力を費やすことは、酸素を吸って呼吸するように当然のことなのである。そこでは「そもそもやりたいことが見つからない」という前段階は無視される(それがあって当たり前だから)。そのような人生の中で、他人も同じように何かに情念を燃やして生きているはずだと狭窄的に見ているから、「駄サイクル」のループ構造にすらハマらずに惰性的に生きる人々を理解することができない(鯨井は「駄サイクル」を批判しつつも、それにハマってしまう夢追い人たちの心持ちは理解できる)。

物語の終盤、インディーズのミュージシャンとして活動していた鯨井は、ついに自己実現の機会を得る。しかし憧れていた世界の裏側にあった現実に違和感を覚えて、自己破壊的な行動に出てしまう。『ネムルバカ』は石黒作品としてはかなり現実に接近した物語であり、彼一流のユーモアを交えつつも、夢を追う青年とそれを利用する大人の欺瞞性を批判している。モラトリアムにある人たちには、特に薦めたい作品である。

なお作品は『響子と父さん』の世界と並行的であり、鯨井はどちらの作品にも登場する。『ネムルバカ』が大学生の「日常系」なら『響子と父さん』は大人たちの「日常系」であり、どちらも作品として完成度が高い。

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