『エクゾスカル零』論、勧善懲悪などいらぬ

“ 亡霊すら居ない、無人の廃墟で少年は目覚める。いかなる怪物も掃討する彼の武装は、孤独という敵に対して全くの無力である”

山口貴由『エクゾスカル零』1巻あとがき

正義が最も恐れるのは、実は悪の根絶ではないかという不信の勘ぐりが、昔からあった。正義は悪が渦巻く世の中にしか存在できない、邪悪の海の深海魚のような生物であり、従って悪とはねじれた依存関係にある。悪が滅びたときに正義もまた滅び去る。さらに捻くれた表現をするなら、正義は悪に寄生して存続するものだとも言えなくはないか。自らの養分のために悪を喰らうが、喰らいが過ぎると宿主共々に心中してしまう。先に存在するのは常に悪であり、悪は正義を必要とせず、一方で正義には己の存在理由を説明する義務が課せられている。

正義が存在理由を喪失した“その後”の世界

『エクゾスカル零』は、正義の形骸化、闘争対象の消失、あるいは庇護される者たちの悪化といった、正義執行者にとって矛盾と対立に満ちた世界において、正義がどう在るべきかを問うた哲学的闘争のマンガである(『覚悟のススメ』の世界観とキャラが登場するが、中身はパラレル)。全ての悪や災厄が消滅し、永遠の平和を手にした人類を待っていたのは、平和過ぎる環境に侵された精神が人を獣のごとき「到達者」に変えてしまう地獄であった(図1)。この混乱を極める世界で、かつて世界に平和をもたらした者たちが冷凍睡眠から目覚めるところから物語は始まる。

図1: 山口貴由『エクゾスカル零』5巻, 秋田書店, 2013年

作品舞台はまるで、正義にとっての煉獄、勇者の拷問装置とでも呼ぶべき恐ろしい世界で、あまりにも過酷な世界観ゆえに、作者の山口貴由すら出口が見えず彷徨を重ねた末に作品が終結してしまった。作品評価として、他のエンタメに徹した山口作品と違い「よく分からない」「難解」といったものが多い。

しかし、それでいいのである。元々この問いは明確な答えなど出ない問いなのだ。「迷い」や「目的の不明瞭さ」自体が作風であり、暗中模索こそ『エクゾスカル零』の提示する読書体験そのものである。正義の存在根拠を失った世界で、正義とは何か、真実はどこにあるのかを、読者自身が考える作品なのだ。作中で主人公たちが相対するのは、人間の信じる倫理や道徳に対して無関心なこの不条理に満ちた世界であり、作品は言わば宇宙の混沌との対立をテーマとする。

猛の正義の自己目的化

最初の敵対者である九十九猛(つくもたける)は、正義の抱える矛盾を象徴的に表している。

猛は荒廃前の世界において、悪の秘密結社を倒す使命に燃えおり、そこでは「力で悪を倒せば人々が称賛する」という単純な図式が成立していた(図2)。しかし荒廃後の世界では「倒すべき悪は、守るべき人々そのものである」という矛盾から混乱をきたし、「凶暴な獣と化した人々を守るために、正義の主人公を殺しにかかる」という滅裂な行動を起こす。

図2: 山口貴由『エクゾスカル零』1巻, 秋田書店, 2011年

ここで起きている問題は何か。猛は「正義の力と立場」を捨てられないのである。

「おまえだな。おまえが少年たちを自殺に追いやったんだな」
シンプルな世界観が蘇った時、僕の魂は興奮に震えた。

山口貴由『エクゾスカル零』1巻, 秋田書店, 2011年

猛は、自分の力を思う存分振るって人々から称賛される「シンプルな世界観」を 探し続ける。しかし荒廃後の世界とは、既に猛らが「悪」を根絶し尽くしてしまった「平和な」世界であり、暴力の矛先はもはや、獣と化した人々しか残っていなかった。こうして力の行き場を失った猛が、冷凍睡眠から目覚めた主人公に襲いかかるのは、いかにも倒錯した正義である。

客観的に見れば、猛は正義の味方を引退すべきなのだが、それは彼のアイデンティティの喪失であり、魂の死亡である。従って、目的の空洞化した猛の正義は自己目的化せざるを得ない。

この猛の葛藤は傍目には道化じみているようにも見えるのだが、考えてみれば人類の技術発展には、常にこの種の自家撞着が付随していた。手工業者が織機を悪魔のように破壊して回った産業革命期のラダイト運動然り、電子書籍の流通を牽制する流通業者然り。近年ではAIの急速な発達により、人類の存在意義が失われていくからAIを将来的に抑制すべきではないかという、主客転倒的な状況も生まれている。ことほどさように、状況の進展は人間の主体性を危機に晒してしまう。

物語はその後、動地憐(どうちれん)やツムグといった新たな正義失格者たちと出会うたびに、正義の矛盾を突きつける問いを発していく。それぞれの人間たちが、苦悩の末に各々の相対的真実へと到達していき、読者もまた、この作品と共に己の真実へと到達せんことを、作者は願っているであろう。

図3: 山口貴由『エクゾスカル零』2巻, 秋田書店, 2012年

このように、とにかくひたすら重くて混沌に満ちた、読めば読むほどに尾を引くものが増えるカタルシス皆無の問答作品であり、この作品が一般受けしないのは仕方ないかも知れない。しかし『シグルイ』で高められた山口の芸術的な画風、独特の語り口、運動力学とSF的設定の解説が組み合わさった異彩を放つ戦闘シーンなどは、他作品の追随を許さないレベルで完成度の高いものであり(図3)、作品の挑む高踏のテーマとも組み合わさり、芸術至上主義者的には最高の作品とも言える。

『エクゾスカル零』こそは、山口貴由という作家の芸術性が遺憾なく発揮された1つの集大成であり、世紀の問題作なのだ。

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投稿日時: 2019/02/04 ― 最終更新: 2019/09/22
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