『ミギとダリ』論、バレエのような美しいギャグ

「油断するなよミギ。慎重に事を進めよう」

「百も承知さダリ。慎重に事を進めよう」

『ひとりの人間として』

佐野菜見『ミギとダリ』1巻

そのリズムが見えるかのようだ。『ミギとダリ』は、律動と対比の喜劇である。

右と左の双子、ミギとダリ。のどかな村の一軒家へとやってくる。子供に恵まれなかった二人の夫婦。しかし不可思議、夫婦は一人の養子しか迎えていないはずなのだ。ダリが夕食を口にする。老婆がおかわりを盛り付ける。目を離した一瞬、バレエのような優雅さと身のこなしで、双子が一瞬にして入れ替わる。老婆の眼に映るのは、容姿の同じ一人の息子。ミギはなに食わぬ顔で「おかわり」を口にする。何かがおかしい。何かが違う。しかしそれに気づく村人は誰もいない、不思議な不思議な物語(図1)。

園山夫妻の隙を見て入れ替わり「秘鳥(ひとり)」
図1: 佐野菜見『ミギとダリ』1巻, KADOKAWA, 2018年

双子の「対称性」と出来事の「対照性」が、シュールなコメディを生み出す。老夫婦はどこまでも純朴であり、養子として迎え入れた「一人息子」の純真を心の底から信じきっている。一方で「双子」はどこまでも毒舌であり、華麗なトリックと周到な心理術で老夫婦を、否、村の全ての人間たちを欺き続ける。村の平穏な「日常」の裏で暗躍する、どこまでも賢しらな双子が巻き起こしている「非日常」。「お行儀の良い」息子が放つ「お行儀の悪い」騙しのテクニック。「怖がりな」息子が養父を騙すために生み出した「ホラーな」トリック。

『坂本ですが?』で発揮された作者、 佐野菜見のシュールギャグの演出技術が、本作でも冴え渡っている。例えば「息子にお父さんらしいことをしてみたい!」という欲望を養父が持っていることを見抜いた双子は、理想の息子、つまり養父の願望にさらに寄り添った存在を演じるために「鳥さんのおうちを(木の上に)置きたい」と言う実に空々しい媚態を演じ、養父の「息子と肩車願望」を惹起する。その時の養父のリアクション、息子の媚び方、そして肩車を提案したときの下心丸出し顔を見よ!(図2)なんとも絶妙な滑稽さを醸し出しているではないか(笑)。私は読みながら、椅子の上でジタバタしてしまった。『ミギとダリ』は、幸福なホームドラマのパロディとも言えるだろう。効果線やトーンの使い方が実にあざとく、表現としての漫画の特異性が存分に活かされている。アニメ化や映画化が果たして可能かは不明である。

鳥小屋設置のために肩車願望を惹起される養父
図2: 佐野菜見『ミギとダリ』1巻, KADOKAWA, 2018年

各巻はそれ1冊が短編集として完結しているかのような統一感でまとめられ、しかし物語のステージはそれらが1つのアルバムであるかのように、1巻ごとに上昇していっている(現在2巻まで)。1巻では双子のシンメトリーが維持されるが、2巻では逆にアシンメトリーな部分が強調され、ギャグが変質していく。そして巻末では、双子が1人の人間として村に潜り込んでいる理由と目的が明かされていき、喜劇の裏に突如として悲劇の香りが漂う。それはあまりにも突然で、残酷で、しかし双子の愛はどこまでも美しい。二人が手を取り合う姿に、遠い日の子守唄が重なるかのようだ。

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投稿日時: 2019/01/05 ― 最終更新: 2019/01/22
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