投稿日時:2018/12/24 ― 最終更新:2019/04/26

小便は済ませたか?神様にお祈りは?部屋のスミでガタガタふるえて命乞いする心の準備はOK?

平野耕太『HELLSING』(ヘルシング)2巻より

平野作品の特徴は、作品世界の「舞台性」にある。非日常の空間としての「舞台」。そこではサマになっていること、伊達であることが重視され、それを日常の世界で実行すれば滑稽じみていることはどうでもいい。この演出傾向は最新作『ドリフターズ』にも共通する。

全10巻にわたり絶対無敵の吸血鬼・アーカードと軍事組織「ミレニアム」の闘争を描いた『HELLSING』(ヘルシング)。その特徴を有り体に言えば、ひたすらにサマになる構図や展開、台詞の応酬が怒涛のように押し寄せる痛快なるゴシックホラーである。

漫画の紙上で演じられる舞台劇

『HELLSING』の台詞回しは全体的に大変芝居がかっており、恐ろしく凝っていて、一々演説でもしているかのように大仰である。キャラクターが(漫画的な意味で)普通に喋っているシーンが少ない。作中の悪役「少佐」による有名な大演説シーン「諸君、私は戦争が好きだ」に代表されるように、その台詞には常に人物固有の信念や思想、リズムが含まれており、狂気的であると同時に詩的でもある(図1,2)。あまりにもキマっているので、日常生活でも常に引用するチャンスはないかと伺ってしまうほどだ(実際にやったら大変恥ずかしい)。

シュレディンガー准尉らの前で演説する少佐
図1:平野耕太『HELLSING』4巻,少年画報社,2001年
吸血鬼としての能力が足りないバレンタイン兄
図2:平野耕太『HELLSING』2巻,少年画報社,2000年

この場面場面でのインパクトを重視する徹底的に練り込まれた掛け合いに呼応するように、その画風も切り取られた一瞬間のキャラクターのポージングの見栄えを重視する。それは線によるモーションの表現に秀でた日本漫画よりかは、アメコミの表現技法に近い。要するに少々状況的に不自然で硬直気味でも、キャラクターが画面の中でビシッとキマったポーズを常にとっているのである。例えば第8巻で主人公が2丁拳銃を取り出した際の名カット「パーフェクトだウォルター」を見給え(図3)。この犯罪的なまでにカッチョイイ画を前にして、失禁したとてさほど恥とは思わない。

ジャッカルでアンデルセンの刃を全て撃ち落とす場面
図3:平野耕太『HELLSING』8巻,少年画報社,2006年

ことほどさように『HELLSING』の演出は舞台における演劇のように「観客」に対するファンタジックな迫力を前面に出している。その結果、キャラクターたちが華麗なポージングを決めながら、クォータブルで思わず反芻したくなる掛け合いをバシバシ決める、濃密なるエンターテイメントとしてまとまっているのだ。全10巻のどこを切り取っても余分なシーンや気の抜けた箇所がなく、頭からつま先まで高揚と緊張を保って物語が駆け走る。この完成度なら、1年に平均1巻という緩慢な刊行ペースも致し方なしというわけである。

超人的英雄への賛歌

話の筋というものも、結局のところ「アーカードが凄まじくカッコいい」ことを演出するための装置ではないか。というか、ひたすらバトルしているだけなので正直筋らしい筋はない。少佐も戦争開始の理由を「戦争の歓喜を無限に味わうために」「我々には目的など存在しないのだよ」とキッパリ言ってしまっている(戦争のための戦争)。伏線も謎掛けもほとんどない。さらにアーカードがとにかく法外な反則存在で、恐ろしく強大にも関わらず吸血鬼だから何度殺されても復活するし、そんな怪物が、知恵と勇気をふり絞って果敢に反撃してくるか弱い人間どもを蹂躙しまくる話なので「アーカード敗けるかも」みたいな緊張感は全然ない(笑)。しかしこれまで述べてきたように、本作の演出に通底する方向性とは畢竟、紙面から溢れ出る豪然たるムードの表現にあるのだから、そのような力強いダークヒーローへの賛歌として話が進むことに演出上の矛盾はない。

物語全体に、ヒトラーの残党による「最後の大隊」だとか「イスカリオテのユダ」だとか「聖遺物」だとか、ミリタリーや宗教に関連したキーワードが散りばめられ、マニエリスティックな雰囲気が漂う。しかしここに本作の演出上の限界が見えてしまっている。どうも実体がなく、 些かがらんどうで空疎な衒学趣味であるように見えるのだ。この感覚は『新世紀エヴァンゲリオン』に近い。

例えば第三勢力としてカトリック教会が参戦してくるのだが、内容的には別に、彼らを戦闘狂のカルト宗教に置き換えても問題ないように思える。何故なら西洋作品に必ず含まれているような、キリスト教をモチーフとして使用する際の文脈や要素が無視されており、単に過激派の宗教団体に「ユダ」を名乗らせて暴れさせたいだけに見えるからである。同様に炸裂徹鋼弾のような怪しげな軍事技術や、女性をSirと呼んだりする描写などツッコミどころが多く、ペダントリーに関しては興をそがれるような粗削りさが目立つ。

しかしまあそういう欠点も、吹けば消える小さな瑕疵に過ぎない。何故なら『HELLSING』の舞台は途方もない迫力で埋め尽くされており、アーカードは絶世の伊達男であり、繰り広げられる掛け合いはいつまでも耳に残って読者の心を鷲掴みにし続けるから、そんな陶酔の極みにあっては、背景セットがハリボテであることなど誰も気にしないからだ。傑作の舞台演劇が上演される感動の最中にそんな野暮なツッコミをする者がいれば、そいつはとんでもないやくざ者に違いあるまい。

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