『NARUTO』のシカマルはなぜ頭が悪そうなのか?

2021/11/08 ・ 漫画 ・ By 秋山俊

『NARUTO』は私の中学時代から連載が始まっていて、当時ジャンプは欠かさず読んでいたから本作のストーリーはリアルタイムで追っていた。

しかし中忍試験で作者による「シカマル、マジ頭良いです」アピールが始まったときから、私は逆に「このキャラ、頭悪そう」とずっと思っていた。

シカマルの頭が悪そうに見える理由は明白だ。それは作中で「シカマル頭良いです」という表現が、単純な言葉による「事実提示」でしかアピールされていなかったからである。つまり「あいつのIQは200」とか「将棋で一回も勝てなかった」とか「200通りの戦術を考えた」とかである。

しかしこういう「事実提示」というものは、単に作者の設定を披露しているに過ぎないわけで、読者が「シカマル、ハーバード首席マジ余裕じゃない?」と戦慄するためには、シカマルの「行為」そのものによって「頭が良い」ことを表現せねばならないのである。

同じジャンプ漫画で言えば、たとえば『DEATH NOTE』のように、殺人犯から絶対に名前を隠さねばならない探偵Lが「わたしはLです」といきなり挨拶するようでなければならない。自らの独創的な戦術の実行によって、他人の考える凡策が凡策に過ぎないことを痛烈に喝破して見せ、世界にはこのような真実もあるのだ、ということを開示してみせなければならない。

あるいはラディゲが小説の中で「戦争とは自転車旅行のようなものである!」と出し抜けに宣言して度肝を抜いたように、平凡な事実を平凡な事実のまま了解している人間の価値観や世界観を転覆させ、自らがいかに異なった世界を認識しているかをアピールせねばならないのだ。

読者はそのような独創性、世界に対する批評的な行為によってしか、対象の卓越を真に認められないのであり、「オレ、すげーいっぱい考えたんだけど、聞く?」みたいに言葉をもてあそんでいるだけでは、人々の眼には、虚勢を張る悲しいオタクが荒野で吠えているようにしか感じられないのである。

(ヘッダー画像:岸本斉史『NARUTO ―ナルト―』集英社)

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初版:2021/11/08 ―― 改訂: 2021/11/10

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