投稿日時:2018/11/15 ― 最終更新:2019/02/26

何かを心から好きになるというのは、祝福であると同時に、呪いである。人でも勝負事でも同じである。何しろそれについて考えないわけにはいかない。一度好きになってしまえば、それと心中覚悟で歩みだすか、悲鳴を上げながら身を引き千切って、切り捨てるより他にないのだ。何かに夢中になる現象は、損得勘定を無視した次元で発生するから、それがどんな金食い虫だろうと、斜陽産業だろうと、リスキーな投資だろうと、好きになったからには突き進むか切り捨てるかの二者択一を迫られる。夢中という陶酔の只中では、合理性も経済性もご破算である。全てをひっくり返して踊り狂う、狂乱の戯れ道である。しかし人生というものが畢竟、その狂乱に捧げるためにこそあるのだとすれば、ソロバン弾いて切り捨てるのも、それこそ主客転倒ではないか。

この物語の主人公、安住もそんな狂乱の道をひた走った将棋指しである。ひた走り、行き詰まった。26歳の年齢制限によってプロ棋士争いから脱落し、今まで無縁だった社会の枠組みに丸裸で放り出された、いわゆる「元奨励会」系の話である。

本作では、少なくとも1巻では、「好きという呪い」に囚われる3人の棋士が、この呪いといかに向き合うかが描かれる。盤面や棋譜解説の描写は少ない。雰囲気系を思わせる将棋描写で、例えば第2話で安住がプロ棋士との指導対局で平手(ハンディなし勝負)に挑むシーンでは、棋譜に言及するシーンがたった3コマくらいしかない。ほとんどが将棋を指す安住の思想的モノローグに費やされている(図1)。

明星との指導対局で指す喜びを確認する安住

図1:鍋倉夫『リボーンの棋士』1巻, 小学館, 2018年

しかしだからこそ、このマンガでは勝負の世界の残酷さや「呪い」の執着力が抽象されており、将棋というよりはもっと人生における普遍的な葛藤と問いが強調されている。つまり「好きってなんだ」「人生の中でそれとどう折り合いをつけるんだ」という問いである。

棋士としての死と復活

安住の方向性は1巻においてほぼ定まっており、迷いが消えている印象を受ける。彼の結論は「プロになれまいと自分は将棋が好きであり、それは何よりも楽しいからである」という、一見素朴なものである。ただし彼の場合は人生の大半をプロを目指して活動していたわけで、今後も将棋を指し続けるということは、自分が届かなかった未来、あり得たかもしれない世界を身近に見続けること、悔恨の思いに晒され続けることを意味する。実際にこの恐怖が、それまでの安住に「将棋の一切を捨てて、思い出しもしない」という極度に抑圧的な逃避姿勢を取らせていた。同時に、本心では将棋のことを決して忘れられず、その狭間でもがき苦しんでいた。バイトを続けながら安住は悩む。

今の生活に何も不満はないはずだ。
なのに――なぜ未来が見えない?

安住を苦しめ続けるのは「存在理由の空洞化」である。理屈の上ではフリーターとして将来の不安を抱えながらも、安住は安定した生活サイクルの中にいる。しかし自分の人生のあらゆる行動の動力源、幸福感の源泉であった将棋を欠いている人生は、言わば主なき後の廃墟で無限に活動を続ける自動機械のようなものであり、運動そのものは保たれていても根源的な存在理由を喪失している。そしてその歪みが、地下鉄ホームのタイルに将棋盤の幻影を浮かび上がらせるという、禁断症状のような幻視を生み出していた。

ついには不眠症の症状も表れ、己の中にいるもう1人の自分が「もう生きてても意味ねぇじゃんって…」と自殺を仄めかす。すると突然、何かを思い出したかのように安住は目をカッと見開き、猛然とコンピューター将棋を始めるのだ(図2)。

図2:鍋倉夫『リボーンの棋士』1巻, 小学館, 2018年

ここに「リボーン(Reborn)」というタイトルの意味が立ち表れているのではないか。安住は「生きていても意味がない」ということをリアルに考えた瞬間に、一度「精神的な自殺」を遂げている。そうした瞬間、恐らくこれまで自らを囚えていたあらゆる妄執――無念、後悔、嫉妬――から解放されたのだ。何故なら彼の人生は一度終わったのだから。人生を降りたのだから。そしてそういった様々の汚濁が拭い去られた後に、ただ一つ残されたのが「将棋を指したい」という原初の感情なのではないかと感ぜられる。

安住を復活せしめたのは「自己への愛」である。無償無限の愛である。夢破れた自分、それでも将棋を指したい自分を、ひしと抱きしめ肯定する愛。安住は考える。

やっと気づいたよ。いくら目を逸らしても、将棋への想いは消えないんだ。将棋は俺の一部なんだ。切り捨てられるものじゃなかった。この気持に向き合わなきゃ俺は前に進めない。これは俺の生き方の問題なんだよ!!

将棋と自分が不可分な存在である以上、将棋の拒絶は自己の拒絶へと繋がる。そして将棋しかない自分を肯定したとき、あらゆる迷いや苦悩が霧消していく。別にプロ入りできる見込みが生まれたわけではない。経済状況は少しも好転していない。にも関わらず将棋を指した安住の笑顔の、なんと晴れやかなことか!復活した安住の眼前にあるのは、あらゆるしがらみから解放されたかつての将棋、少年の眼差しに光っていた黄金風景である。

安住は棋士として復活を果たした。しかし将棋を仕事にしようとは考えていない。これは非常に重要な点である。安住は「もう一度プロを目指すんですね」と聞かれたときに、被せ気味に「それは無理ですね」と即答している(図3)。

図3:『リボーンの棋士』 1巻

これは特例制度でプロ入りできるかという実力の問題であると同時に(可能だと思うならそもそも将棋を捨ててないだろう)「好きを仕事にすべきか」という問いへの一つの答えでもある。安住は「(将来の)仕事としての将棋」を指し続けた結果、将棋を指す意味を、人生の意義を見失ってしまった。そして先述したように、一度それまでの人生の延長で生きることを捨てたからこそ、将棋を手段から目的へと回復させることができたのである。ここで安住がすぐさま特例制度に飛びつくようなら、それは一度捨てた人生の亡霊に堕ちることに他ならない。それでは「リボーン」にならない。

まあ、話の展開上、プロ編入の話が今後出てくる可能性は高いと思うが、それでもこの時点ではプロの話を完全に却下している点が、安住の再出発の論理として極めて重要なのである。1巻で非常に印象深いのは、何と言っても「今、将棋がしたくてたまらない」「それが大事なこと」という安住の言葉であろう。この力強く迷いのないセリフ、吹っ切れた表情が描かれた1コマには、安住再生の心境が全て込められている(図4)。

図4:『リボーンの棋士』 1巻

既に再生を果たした安住の葛藤を引き継ぐのは、同じく元奨励会員の土屋であろう。土屋もまた、年齢制限による脱落で宙ぶらりんになった情熱の行き場を求めているが、久々の将棋に負けて涙を流すほどの熱さを内に秘めている。しかしケチなプライドが邪魔をして安住のように吹っ切ることができない。今後葛藤を重ねながら成長していく(はずの)土屋の今後から目が離せない。

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