人間を描いたボクシング漫画『Big Hearts (ビッグハーツ)』

2020/12/15 ・ 漫画 ・ By 秋山俊
林明輝『Big Hearts ジョーのいない時代に生まれて』1-3巻, 講談社, 2003-2004年

これは土壇場で人生を変える一発が出せるかどうかの練習なんです。

『Big Hearts』2巻

地味なボクシング漫画である。しかし派手な画を求めてボクシング漫画を読むわけではないから、『Big Hearts』を優れた作品だと断定することに、いささかの躊躇もない。

一流企業に務めていた保谷栄一(ほうやえいいち)は、ある重大なプレゼンの最中に嘔吐して周囲の軽蔑を受け、サラリーマンを辞めてしまう。そんな彼が「なにもかも忘れるため」に打ち込み始めたボクシングで才能を見出され、プロボクサーとしてデビューし、己の中に潜む弱さ――あのプレゼンで自分に嘔吐させた弱さ――を克服していこうとする物語である。(図1。なお作者は『ラーメン食いてぇ!』の林明輝)

図1:『Big Hearts』1巻

淡々としたボクシング漫画

このように書くと、『Big Hearts』を、脱サラ人間のサクセスストーリーなのかと速断する人もあると思うが、そう単純な話でもない。

何しろ栄一は、デビューした初戦でいきなり敗北してしまう。またトレーナーにも「パンチ力は“並”ですね」と言われ、華のある選手としては描かれていない。

本作には、主人公だけが放てる必殺ムーヴもない。現実を超えるようなケレン味のある格闘描写もない。

画風の問題もあるが、全体的に地味であり、淡々と練習する風景に微細な人間ドラマが重ねられていく。本作のボクシング漫画としてのスタンスは、次のようなメタ的なセリフによって、作中で堂々宣言されている(図2)。

漫画じゃねえんだからよ、必殺パンチなんて見たかねえんだ!!

『Big Hearts』1巻, p.100
図2:『Big Hearts』1巻

描けない想いを行間に描く

そんな『Big Hearts』の魅力は何か?と訊かれても、答えるのは難しいのだが、この漫画は「行間」に漂う、非言語的なニュアンスの重みが圧倒的なのだと思う。

たとえば栄一のトレーナーである簗瀬マコト(やなせまこと)が、正月に家族でコタツを囲っている場面がある。家族は「毎年正月にもジムに通っていたマコトが家にいる」と喜び、娘とゲームで遊ぶ約束を、何となく後ろ髪引かれる様子で引き受けるマコト(図3)。

図3:『Big Hearts』2巻, p.19

っと、次のページを見開くと、突然トレーニング中の栄一の前に、家にいたはずのマコトが姿を現すのだ(図4)。

図4:『Big Hearts』2巻, p.21

そして始まる新春の猛特訓。なおこの後、先の母子のセリフもなければ、なぜ「気が変わった」のかも、一切描かれない。

この言葉にされない男同士の熱き交感に、私は、並の漫画の数十ページに匹敵するような、濃厚なるドラマを感じるのである。

他にも、やはり栄一とマコトのシーンではあるが、マコトが新人戦を観戦した際に、栄一は「時代がどんなに成熟洗練されても、きっとボクシングはあり続ける」と意見を発するシーンがある。それに対してマコトが何か言いかけたとき、栄一の背後に見えた「戦え男よ!君は正しいのだ」という落書きを見て、反論しかけた言葉を呑む(図5)。

図5:『Big Hearts』1巻

記号化されない登場人物たち

こういった場面で、キャラを通して作者がその意味を、事細かに説明してしまう作品は多い。しかし『Big Hearts』はそういった野暮を避け、読者に投げかける手法を採る。またそういった描写に説得力を持たせるだけの、人物1人1人に対する、深く細やかな描写も徹底している。登場人物が深く掘り下げられているからこそ、急所の場面において「この人物はこういうことを言いたいのではないか」という推測が成り立つのだ。

つまり『Big Hearts』は、マンガという表現の中での安易な“言語化”や“記号化”を、徹底的に避けているマンガなのである。それによって登場人物や物語に深みや重層化をもたらし、より深い次元での、ニュアンスに満ちた人間ドラマを展開する。それが本作の最大の魅力であり、それは緻密な取材に基づくリアルな社会風景や人間観察に支えられている。それゆえに、本作は「地味」なのだ。

これはたとえば、同時期のモーニング掲載作品でいうと、三田紀房の『ドラゴン桜』なんかとは、完全に対照的な手法である。『ドラゴン桜』では、主人公以外のキャラは完全に記号化されており、「こいつは理屈っぽくてウザいやつ」みたいに、パッと見でそのキャラの底まで全て見透かせるかのように表層的に描かれる。

もちろん三田作品の場合、その徹底した「薄っぺらさ」を逆用して、人物の内面を掘り下げることはハナから放棄し、三田一流の過激なロジックを描く(「東大は簡単だ」、あるいは「投資はゲーム」など)ことに集中しているわけで、それは必ずしも欠点ではないが、とかくそういった記号化されて、漫画という巨大なコンテンツの海に消費されていくコピー然としたキャラたちとは、一線を画すのが『Big Hearts』における人物描写なのである。

パターン的な表現にしない

このような林明輝の丁寧で、徹底した、入魂のペンの入れ方は、全てのコマに貫かれている。表現が実に多彩である。コマ割やページの使い方の1つ1つに工夫がある。

特に多用されているのが「ある場面でのセリフが、次のページの全く別場面での同じセリフにオーバーラップされている」といった表現。こういった表現の工夫を随所に挟むことで、意外性を出したり、場面が自然に遷移するように計算されている。

また普通にシャドーイングしていると思っていたら、コマが進むに連れて徐々にカメラが引いていき、実は鏡に映った姿だったと分かる工夫(図6)など、恐らく映画での表現技法を持ち込んでいるのだと思われる。

図6:『Big Hearts』1巻, p.128-129

こういった細かい表現の工夫は、忙しい連載だと疎かにされがちで、大抵のマンガでは決まったパターンを繰り返しながら、コマ割は物語とアクションを進めるための道具として割り切られる。他方、本作を描いた林明輝は芸大出身だそうで、手癖に頼らない飽くなき表現の工夫が、『Big Hearts』を豊かな文芸作品へと高めている。

私が特に気に入っているのは、コミックにおいて、各話の間に、作中のセリフの引用が挿入されていることである。しかもただセリフを引用するのではなく、あたかも「原作」があるかのように、マンガにはない「地の文」付きで引用されている(図7)。その表現効果は、マンガの中に「小説」を組み込むことで、奥行きのある立体的な表現構造が実現されているということである。

図7:『Big Hearts』1巻

『Big Hearts』はこのように豊穣な作品であるため、近年の慌ただしい大ゴマ乱用マンガのように、セリフを斜め読みして派手なシーンだけ拾い読みしていると、良さがまるでわからない。だからじっくり読むべきだし、読み返すほどに味の出る作品であると思う。なんなら、作者の代表作『ラーメン食いてぇ!』より面白いと思う。

本作はボクシング漫画だが、実はボクシングを通して人間そのものを描いている作品であり、その点で万人に向けた人間ドラマであると言える。

満足度:8/10

取材でボクシングジムに何度も足を運ぶようになると、あることに気付きます。いつ行ってもハンコで押したように、同じような顔ぶれが、同じような反復練習を百年一日の如くやっているのです。もちろん練習内容は徐々にステップアップしているのでしょうが素人目にはよく分かりません。この物語が時として、淡々とし過ぎると批評されるのは、そういった光景が僕の脳裏に刷り込まれてしまったせいかもしれません……。

『Big Hearts』1巻カバー裏

関連作品

林明輝の『ラーメン食いてぇ!』は、もちろんオススメ。『Big Hearts』はあまりに地味だったためか3巻で打ち切り気味に終わってしまったが、そのような反省のもとに「ラーメンを作る女子高生コンビ」という、商業に対する客観性と戦略を加えたのが『ラーメン食いてぇ!』だと分析している。その単行本に掲載されている読み切りも含めて、林明輝作品は全部面白い。

本作と似たような特色を持つ秀作と言えば、最近では『リボーンの棋士』がオススメ。再起をはかる将棋人間たちを描いた作品だが、やはり将棋描写よりも人間ドラマに主軸を置いている。

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投稿: 2020/12/15 ― 更新: 2020/12/16
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