『邪眼は月輪に飛ぶ』藤田和日郎の貫禄を示す傑作怪奇漫画

藤田和日郎『邪眼は月輪に飛ぶ』

その掟は1つだけ。
〈ミネルヴァ〉に見られた者はみな死ぬ。

藤田漫画の中でも、最高傑作になり得る作品ではないか。無駄のないストーリー展開、戦いの緊張感、自然の怪異のおぞましき描写……これらがわずか200ページに凝縮されている。密度が半端ではない。

藤田作品では定番とも言える「怪異対人類」の戦いが「ルール違反」なしに、最初に設定されたシンプルな枠組みの中で完結している点が素晴らしい。すなわち「怪鳥ミネルヴァの眼で見られた者は必ず死ぬ」という絶対的なルールが1点設けられ(図1)、そのルールの中でいかにミネルヴァを倒すかという話が、徹底的に「作品内におけるリアリティから外れない範囲で」描かれている。

図1

例えば『うしおととら』にしても、後発の『双亡亭壊すべし』にしても、大河的な壮大な話の流れの中では、どこかで当初のルールからやや逸脱した、時に反則的な、大きな話をまとめるための、全てを俯瞰する存在による狂言回し的な描写を盛り込まざるを得ない部分がある。それは例えば獣の槍の破片が世界中の人間に突き刺さるとか、主人公が幽体離脱して全体のあらましを登場人物に伝えるといった描写である。

しかし『邪眼は月輪に飛ぶ』では、そのような逸脱に走らない。怪異対現代軍事力の戦いが容赦なしに描かれる。テレビ越しに眼が合っただけで人を絶命させる怪鳥自体が説明不能だが、怪異はあくまで「怪異のリアリティ」の制限下でしか動けず、途中から突然それまで説明されなかったルールが追加されるようなことはない。

このように作品世界の中の閉じたリアリティの中で誤魔化しなしに描かれるからこそ、絶望的なミネルヴァ攻略の様子が、手に汗握る攻防として読者に迫ってくるのだ。

それにしてもミネルヴァの画がすごい。文字通り「眼を血走らせながら」空を滑空し(図2)、視界に入った全ての生物を自壊させていく。呑気そうに人間たちがたむろする繁華街に、黒いフクロウが舞い降りて、その眼をカッと見開く。瞬間、その場にいた全ての人間が血反吐を吐いて死んでいく。こんな、この世のあらゆる憎悪と不幸の集積体みたいな飛翔生物相手では、一個連隊が壊滅するのもやむなし、という有無を言わせぬ説得力を、画だけで表現して見せている。やはり藤田の画はとんでもないのである。

図2

『邪眼は月輪に飛ぶ』に底流するテーマは「家族愛」である。4人のハンティングチームとミネルヴァの血みどろの戦いの裏で、これがずっと描かれ続けている。娘にずっと愛情を伝えられない猟師のウヘイ、つがう相手も殺してしまう邪眼のせいで孤独から倒錯に走るミネルヴァ。殺し合う者同士、同じ苦悩を抱えて生きている。ウヘイは言う。

若えの、人間と獣にあんまし違えはねえのさ

動物の見せる愛着はラディカルであるがゆえに、時に人間以上に痛ましい。死んだ我が子をずっと突っつき続けるペンギンの姿を子供の頃にテレビで見て、動物も人間と同じなんだ、と言葉もなく理解できた。

死を撒き散らすミネルヴァの持つ、宿命的な絶対の孤独が、壊れかけながらも保たれている人間たちの儚い絆を浮かび上がらせる。バラバラだった主要人物たちが、ミネルヴァのもたらす破滅を前に、互いの不信やトラウマを乗り越えて結束する。

図3

テクノロジーへの過信に罰を与える自然とか、合理的軍事力が理解しない狩人の精神への畏敬とか、テーマとしてはすごくありふれているし、その着地点も極めて正統派。ただ藤田の圧倒的な画力と構成力は、そういったテーマや筋の部分で奇をてらう必要性を感じさせないし、むしろ王道過ぎるテーマにあえて真っ向勝負を挑んで、力量を示して見せた印象を受ける。少年サンデーの看板作家であり続ける藤田の貫禄を見た作品であった。

出典

図1-3:藤田和日郎(作)『邪眼は月輪に飛ぶ』小学館

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投稿日時: 2018/11/02 ― 最終更新: 2019/08/16
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