問題集はまず解答解説を読書する

2019/05/27 ・ 勉強 ・ By 秋山俊

過酷過ぎるハードトレーニングを課すくらいなら、ベッドで女と寝ていた方がまだ強くなれる。

『グラップラー刃牙』のトレーナー

まずそもそも、問題集を始めとするあらゆる学習書の役割は何かと考えると、それは明白に「使用者の学力を伸ばすこと」にある。そういう点で「参考書(テキスト)」も「問題集」も変わりがない。

ところが問題集というモノを前にしたとき、人はどうしても「自力で解かねばならない」という思い込みに襲われてしまうのである。ここに受験生の巨大な不幸の落とし穴がある。自力で解ける適正レベルを遥かに超えた問題に対して、自分で考えて解こうと頑張ってしまうと、これは膨大な時間のムダになる。

なぜなら全く手が出せない問題に対して脳を空転させるのは休憩しているのと変わりないし、あるいは難解過ぎる問題を頭をショートさせながら解いても、収穫に対して異常に疲労が溜まる上に楽しくないので、結局ストレスが溜まって大変効率が悪いからだ。

ここで学習書の持つ役割に立ち返って考えると、最終的にはある程度の時間効率を保った上でその問題集に書かれていることをすっかり身につけてしまいさえすればいいのだから、身につける過程で「自力で解くかどうか」に拘る必要はない。

スマートな学習者は、自分が手も足も出ないような問題を解くのは、自分ではなく解答解説の役割だと理解している。彼ら自身はそのような問題を解こうとさえしない。彼らはただ解説を読み、解説について思考する。問題について思考する代わりに解説について思考する。「解答解説を先に読む」ことと「解法暗記」はイコールではない。問題と解法を通して、その単元の理解をとことん深めるのである。

学習の初期~中期にかけては、そもそも問題をまともに解く力もなければ、十分な基礎力も身についていないので、大人しく問題集を読書して考え方を先に身につけるのが良い、という結論になる。実際に自力で問題を解くときは「既に学んだことが身についているか演習で確認する」「経験を積む」「実戦訓練する」といった、明確な目的意識をもって解くべきである。

例えば『やっておきたい英語長文 700』を身につけたい、と思った場合、目標はここに載っている単語・構文などを身につけ、似たような英文を誤読せずに素早く読めるようになることである。

それならば解釈で迷う箇所はさっさと解答を見て理解し、全ての箇所の構文や読解のポイントを押さえた上で、全文をそれぞれ10回くらい音読すれば、この長文集はすっかり身につけたことになる。問題を最初に自力で解こうが、解答を読書しようが、辿る道が違うだけで最終的な到達地点は同じになる。

この考え方は、『ドラえもん』の有名な“セワシ・セオリー”に似ている。

藤子・F・不二雄『ドラえもん』1巻, 小学館, 1974年

これは現代文であろうと数学であろうと世界史であろうと全て同じことで、その問題を十分に解く力がないのに思考をしても疲労ばかり溜まり、膨大な時間を消費した上、学力は一向に伸びない。すると同じ時間、YouTubeかニコ動で「高校世界史をゆっくり解説します」でも観ながらチャットしていた方がまだ学力が伸びた、という悲しい青春の消耗をしてしまうことになりかねない。

問題集には2種類の使い方がある。「自分が解けない問題を勉強するためのテキスト」と「既に身につけた知識の適用をテストする問題集」としての使い方である。前者では解けない問題の数が多い問題集が適しており、後者では解ける問題の数が多い問題集が適している。

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投稿: 2019/05/27 ― 更新: 2020/09/12
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