Haruki Murakami “Norwegian Wood”

私自身は外で勉強している時間が長く、音読環境があまりなかったので音読はそこまでしなかったが、音読自体は英語の効果的な学習方法であると感じている。音読はここ10年で急速に普及し、指導者の中には「英語は音読だけしてればいい!」という、ラディカルな音読中心主義まで出現しているほどだ。

それでこの音読の原理について「発音が良くなる」とか「自分の声を耳でも聞くからリスニング能力が鍛えられる」といった説明をよく聞くが、正直エセ科学っぽくてあまり信用していない。

音読の科学?

まず発音についてだが、ほとんどの日本人学習者が行っている音読は「日本人英語」の発音のはずであって、その「日本人英語」への慣れを作ることはできるが、本当の意味で発音が改善されるのかは疑問。むしろクセが強化される可能性もある。

別に私は「日本人でもネイティブのような発音を身につけるべし」という立場ではないので、「日本人英語」でも通じればいいと思う人はそれでいいと思う。が、英語の発音は日本人にはかなり難しいので、本当に改善を目指すなら発音に絞った集中的で徹底的な訓練が必要である。

次に「自分の声を耳でも聞くから良い」だが、これはかなり眉唾。今述べたように、日本人の発音はネイティブとはかなり違うし、極端な話”radio”を「ラジオ」と発音している限り、実際の「レイディオ」を”radio”と認識することはできない。それと「聞いている」のは結局脳だから、心の中で音読しても「聞いている」ことになるのでは?と思う。

音読は単純だから良い

手厳しくツッコんだが、私が信じる音読の1番の長所は学習行為がシンプルな身体運動で完結することである。

つまり「長文を声に出して読み上げるだけ」というシンプルな学習パッケージに、学習行為の全てが収まっているという単純さがいい。安心感があるし、読むだけなら続けられそうな感じがする。私は長文読解中心の学習を推奨しているが、根本的な部分は音読推進派と同じで、長文の中に英語のエッセンスが全てつまっているのだから、長文を読みまくれば総合的に学習できるという考えがある。

ここで音読の特徴的な点は「声を出す」という点。これの何がいいのかというと「余計なことを考えられなくなる」。これがいい。

声を出すのは脳と身体の総合的な運動なので、外国語を声に出しながら別のことを考えるのはかなり難しい。ほとんどの学習者は、音読をするには英語を読むことのみに集中しなければならず、結果として勉強そのものへの集中力が上がる。英語を読むマシーンと化せる。これが音読の長所である。

つまり音読をしていると人は一時的に「おバカ」になってしまうのだが、幼児が同じ言葉を連呼して瞬く間に言語を習得していくように、言語習得のコツは実は「おバカ」になって言葉を連呼することであるというのは世界の真実なので、これは別に音読学習をバカにしているわけではないのだ。

例えば、グラウンドを走っているだけで野球やテニスが上手くなるとしたら、上手くなる人と下手になる人がかなり入れ替わると思う。人には得手不得手があって、同じことを繰り返すのは単純だから平気だけど、複雑なトレーニングはしたくない、という人はいる。

英語にとって「グラウンドを走っているだけで上手くなる方法」が音読なのだ。

本日の「達人の言葉」

外国語を日本語に訳して考えようとしている段階は、まだ外国語が身についているとはいえません。

橋本陽介『7ヶ国語をモノにした人の勉強法』p.20より

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投稿日時: 2019/08/28 ― 最終更新: 2019/12/01
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