これも常識的に考えると奇妙に思えることかもしれないが、受験では過度な「マジメさ」はマイナスになる危険性がある。

「成績が良いのは“マジメ”な人である」「“マジメ”な人は予習・復習をキッチリこなしているから成績優秀」というイメージがあるかもしれない。ただ受験生にとっては「毎日自主的に勉強する」とか「模試の復習をする」といったことは「アタリマエ」のことであって、別にそれは生来の気質がマジメだろうと不真面目だろうと、やらなければならないことである。

ちゃんと勉強をする、というのは「勤勉」ということであって、受験生はすべからく「勤勉」にはならなければならない。

しかし「勤勉」イコール「マジメ」というわけではなく、そして過度の「マジメ」は、ともすれば「生真面目」「融通が利かない」というマイナス要素になり、逆に受験の勝利からあなたを遠ざける。

「マジメ」な姿勢は必ずしも正しくない

具体的に話そう。

例えば「勉強するとなれば、必ず教科書の1ページ目から徹底的に読み込む」という「マジメ」。これはかなりの根性がある人ならいいが、大抵の人は途中で挫折してしまうか、さもなくば中々進まない勉強にイライラしたり、成績になかなか努力が反映されず落ち込んでしまう原因にもなる。

ところが勉強というのは、大局的・長期的にとらえて、まだ全体が見えていないときは大雑把にサーッと流しながら「適当に」やった方が、むしろ上手くいく。

世界史なら、マンガを読んだり歴史ドラマを見たりして「大体こういうことがあった」というのをまず把握し、徐々に重要単語を覚えていく「適当」学習が効率的。勉強が進んでからも、志望校に応じて「適当に」テキストを読み込むべきである。

「適当に」にはご存知のように、2通りの意味がある。「テキトーに」という意味と「実力に応じて適切に」という意味である。この2つの意味はバラバラに存在するのではなく、実力が半端なときほど「テキトー」が「適当」になるのである。

「マジメ」な人が陥りがちな勉強法

他に「マジメ」な人がやりがちなことは「論述練習でも何でも、全部自力で解き、全部書いて練習」「新聞の要約」「テキストの写経」「数学は解答を見ずに徹底的に自分の頭で考える」といったことである。

こういうことは、もしあなたが5年、10年と積み重ねたのならば、なにかの分野においてとんでもない実力を備えた怪物になる可能性もある。実際「徹底的に自分で考える」ことをアホみたいに何年も積み重ねて生まれたラマヌジャンのような天才数学者も存在する。

が、その領域までたどり着く人は本当に滅多にいないのであって、普通そういうことをやっていると、受験どころか就職にすら間に合わない。

そもそも「すぐ解答を見る=不真面目、誤魔化し」というのが根本的な勘違いであって、考えて自力で解けるなら勉強なんてしなくていいはずだし、問題集というのはまず、解けない問題を「学ぶ」ために読み始めるのだから、すぐ解答を見るというのは極めて合理的なのである(演習目的なら別)。

こういう「マジメ」な勉強方法が流布しているのは、受験勉強の実際をよく分かっていない教師や親が、無責任に「解答を見るな!」「自分の頭で考えなきゃ意味ないんだ」「天声人語を読むのが有効」といった「迷信」や「因習」をばら撒いていることに大きな原因があると、私は見ている。少なくとも私の時代にはこういう考えの大人が多かった(こういう盲目的な根性勉強法を無批判に伝えるような人間が、果たして受験で「成功」した人間なのかも疑問)。

それを受けて育った人間が、また自分の下の世代に同様の迷信を伝えるという負のループがある。そしてこういう勉強法で育った人間は、すぐ解答を見るようなやつが「根性なし」で許せないから、また声高に「解答をすぐ見るな!」と叫ぶのである。

そして聞き分けの良い素直な学生は、ウッカリこのような迷信を真に受けてしまい、毎日新聞の要約をしても一向に国語の成績が上がらず「自分は“地頭”が悪いんだ」と絶望する、という悲劇が起きる。

入試は「マジメ」に解けないようにできている

次に入学試験における「マジメ」の弊害について。センター試験を見てみれば、文部科学省が「マジメ」な生徒を殺しにかかっていることは明白である。

特に「センター国語」。一体、なんだあれは!2010年以降の国語の長文化・難化具合は尋常ではなく、作成した教授陣でも、いきなりあの問題の量と質をドカンと出され「80分以内に解け」と言われたとき、「マジメ」に読んでいたら絶対に間に合わないだろう。私は初めて近年のセンター国語を解いたとき、仰天した。

文章量が「両眼を別々に動かして2ページ同時読み」を前提としているのかと思うほど長過ぎるし、問題の選択文も長すぎる。2013年や2014年のセンター国語なんて、時間制限を考えると「超難問セット」と呼んでよく、同じレベルのものを出されたら、私は東大に受かった今でさえ、100回受けても満点は取れないと確信する。

結局、受験では国語でも英語でも、こういうまともに読んでいたら明らかに時間が足りない問題はいくらでもあり、「問題の文章は、全部きっちり読まなきゃ」という「マジメ」な生徒がバカを見る。実際センター国語なんて、まともに読むのは半分以下で、残りは流し読みでも9割に届くのである(→「現代文は読解に濃淡をつけることが重要」)。

また「マジメ」に文章を読んで「マジメ」に解答しようとすると、明らかに絞り込むのが困難な問題、受験生の誰も知らない難単語を混ぜる問題もある。そういう問題では作問者の意図を理解し、「この問題の作り方からして、解答はこうならなきゃおかしい」という風に、逆側から答えを特定できるような「解答探知力」が必要とされる。ここでもやはり「マジメ」過ぎるとバカを見る。

この手の無茶な試験問題というのは、向こうも予備校とかの対策法を前提にしており、まともに全部解かせる気なんてハナからないのだから(少なくとも18歳のレベルでは無理)、こっちも不要な場所は流し読みし、受験テクニックでも何でも、利用できるものは全部使って、「問題を解く」「点数を取る」ことに集中しなければならない。なぜなら受験生は点数でしか評価されないからである。

トップレベルの学生でも解けない難問奇問が、入試問題に平然と紛れている場合も同じ。「無視しろ」「部分点だけ取れ」という意味だと解釈し、相応に対処せねばならない。

正直、普通に全部読んで満点取れないテストなんてくだらないと私も思う。が、そうは言っても向こうがそういう条件を突きつけてきているので、「目には目を、槍には槍を、銃には銃を、無理難題には……受験テクニックを!」である。向こうが「フルマラソンを1時間で走ってください」と要求しているのだから、こちらも「分かりました(ショートカットを見つけろってことだな)」と応じて、近道を走るしかないのだ。

「マジメ」礼賛の終焉

学生はこれまで、ずーーーっと「マジメなことは美徳である」と教わってきた。それは学校内においては真実であり、あなたのマジメさは通信簿に反映されて評価されてきた。それなのに学校という保護地区を離れて競争の世界に入ると、途端に「マジメは美しい」という学校教育のファンタジーは崩壊し「正直者がバカを見る」という現実が牙を向いてくる。

ちなみに大学を出た後も、ひたすら「正直者がバカを見る」の世界が果てしなく広がっている。なぜならそれこそが、世界の本来の姿だからである。

学校教育がずっと「マジメ」のファンタジーを展開してきたから、あなたが「マジメ」たらんとするのは無理もない事だし、あなたが愚かだから「マジメ」になってしまうのではない。しかし世界の真実に気付いたならば、あなたの「マジメ」の良さを残して、でも世界で生き延びるために、いくらかのしたたかさも手に入れればいいだけの話なのだ。

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勉強の面白さを力説し、学びの意義を考え続ける受験コラム

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投稿日時: 2019/06/20 ― 最終更新: 2019/12/07
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