ネットで受験関係の検索をしていて、かなり頻繁に目に入るのが「今、偏差値55くらいなんですが、半年間頑張ったらMARCHに受かりますか?」というような質問です。この質問は本当に多い。Yahoo知恵袋に毎日100件くらい寄せられているのではないでしょうか。

それで、質問についてです。

まず、あなた自身は受かると思いますか?受からなそうなら、止めますか?それとも浪人してでも入りますか?

こういう質問に対して威勢よく「頑張れば受かりますよ!」というような返答をするのは、予備校関係者でしょう。正直、無責任な返答だと思いますが、この質問をする人も心の中では大抵「大丈夫。頑張れば受かるよ」と言って欲しくてこういう質問をしているので、渡りに船とばかりに特別講座を受講することになるのが典型例かもしれません。

真面目に答えようとすれば、この質問には基本的に回答不能で「あなたの状況や本気度によるし、全力で頑張ったとしても当日の運次第です」としか答えようがありません。あなたが模試全てでA判定を取ったとしても、合格の保障なんてものはないのです。それが現実というものですし、「夢は必ず叶う」とか、どっかのアイドルソングみたいなことを叫んでもなんにもなりません。

しかしそれでは何も回答したことにならないし、あなたの状況も改善されないでしょうから、もう少しツッコんでシビアに、中立の立場を捨てて本音で回答します。

受験勉強はやったもん勝ち

まずあなたが志望大学に受かるかどうかは、現在の実力やあなたの本気度しだいであり、最終的には運も絡むからお釈迦様くらいでないと分かりませんし、残念ながら私はお釈迦様ではありません。しかしそれでも志望大学に受かると信じて勉強すべきだと思います。

そもそも受験勉強なんてものは、私は「やったもん勝ち」だと思ってます。

得られる「大学生活」や「学歴」そして「悔いを残さない」といった対価の大きさを考えれば、支払わなければならない労力など大したことありません。それに失敗しても骨折するとか、半身不随になるとか、命を取られるというわけでもありません。

本来、生命が何かを欲するというのは、自分の身体を危険に晒してでも何かを得んとする「オオゴト」であり、古代では食料を得ることすら命懸けでした。現代であってもラグビー選手や登山家は、全身傷だらけ、自分が将来障害を残す覚悟すら抱いて戦います。戦いとはそれほどのリスクを負うものなのです。

それに比べて受験なんてものは、差し出すのは時間だけで済むから、こんな「やったもん勝ち」は他にないのです。数学の問題を間違えても骨は折れませんし、模試の点が悪くて心臓麻痺になったという話は聞いたことがありません。

「受験戦争」なる、いかにもエデンの園に慣れきった人間が使いがちな隠喩がありますが、こんなの「戦争」でもなんでもありません。ただの「デスクワーク」です。時間なんて今後の人生でまだ60年以上はあるのだから、ここで半年、1年費やすのが何だというのですか。

「やったもん勝ち」ということは「ボーナス・ステージ」ということです。

ビデオゲームでも、敵がいない場所で制限時間内に走り回るほど、一方的にアイテムやお金が手に入るステージがありますね。受験も同じで、やっただけ跳ね返ってきて良い大学に行けるし、失敗してもあなたはかすり傷ひとつ負いません。なら、やった方が得ではありませんか。

受かるか否か

次に「受かる見込み」、つまり勝算についてです。

あなたに相応の覚悟があれば、合格する確率は100%に限りなく接近するとハッキリ言えます。

ただし合格が次の入学試験日になるのか、その次の年なのか、またその次の年になるかは分かりません。

「次の入試までに決まっているじゃないか!」と、あなたは怒るかもしれません。しかしこれが本当の現実的な回答であり、現実の闘争というものなのです。確かな未来など存在しないのです。「絶対受かる!」などという気休めは、それで飯を食べている人間の放言でしかありません。

私は先程「あなたに相応の覚悟があれば」という条件を付け加えました。

ここでいう「相応の覚悟」とは「私はたとえ一浪しようと、絶対あの大学に入る」というような「覚悟」のことを言うのです。

つまり浪人という「傷み」「苦痛」を伴ってでも、志望大学を掴み取るという「覚悟」です。これは一昔前までは普通のことだったのですが、最近の現役主義の風潮の中で、最初から浪人をも覚悟するような姿勢は忘れ去られてきました。

「次の入学試験までに80%以上の確率で合格できそうになければ、志望を取り下げます」というなら、あなたの「覚悟」はそのくらいだということです。

そしてもちろん合格するかなんて誰にもハッキリと言えませんから、あなたはあなたの実力と「覚悟」にふさわしい賭けのオッズとして、挑戦するならば60%の確率で志望大学に受かるかどうかの勝負に打って出るしかありません。それが「悪い」というわけではありません。人生の時間は有限で、価値観は人それぞれですから、大学受験で足踏みせずに早く社会に出たい人もいるでしょう。

あるいは「親が許さないから、浪人できないんです」と、あなたは反論するかもしれませんが、それは違います。あなたに真の「覚悟」があれば、奨学金やアルバイトによって自費で大学に通うという手があります。この場合、誰にも文句を言われる筋合いがありません。究極的には社会人になってから再受験するという手もあります。国公立大には学費免除のシステムもあるので考慮すべきです。

親元を離れずとも、ご両親が経済的な理由から浪人を却下するなら「浪人するなら予備校代は全て自分で払う」という誓約書でも書いて、将来働いて返却する、という交渉も考えられるはずです。まあ全て払うとなると結構タイヘンなことになるので、最初は半分くらいで交渉してみるのが手です。それで通ればOKですし、先に一度却下させてからさらに強い条件(全額払う)を出すと、罪悪感も手伝って後手が通りやすくなります(ヤクザがよく使う交渉術なのですが)。

学歴がいかに人間社会で猛威を振るうか

大学にそこまでして入るのか、と思う人もいるかもしれません。その価値は十二分にあります。社会に出れば分かります。アジアなんて学歴社会だから、まず学歴で判断されるんです。中卒高卒なんてまず、チンピラ扱いです。有名大学を出ていない、という時点で、ハナから見下して聞く耳さえ傾けないような学歴差別人間さえいる。

それが早慶とか東大京大、と聞くと、コロッと態度を変えて、「いやぁ、やはり東大の人が言うことは説得力が違いますね」なんて言ったりする。同じ内容でもですよ?私の最近の趣味は、この手の人間をからかって遊ぶことですね。

「学歴は関係ない」なんていうのは、所詮、差別者だと思われたくないから口先で言っているだけで、あるいは自分の表層意識ではそうだと思い込んでいるだけで、多くの人は厳然と差別します。近所の駄菓子屋のおばあちゃんも差別します。小遣いくれる親戚のおじさんも差別します。清楚系で通ってるあのアイドルも差別します。

人はまず、学歴で差別される。学歴は服装や名刺みたいなもんです。あなたはこれから一生着る服、差し出す名刺を選択しなければならないのです。これから60年70年と、その名刺を出して人と話したり交渉するのです。それを考えれば、ここで人生のわずかな期間、本気で勉強する決意を固めて挑んでみることに、十分な価値があると思いませんか?

受験勉強は人生の空費か?

勉強して落ちたら、それに費やした時間が空費されるようで怖いですか?自分が惨めだと思いますか?

でもどの大学でも課される英語は、これから社会に出てからも求められることが多いですし、大学入学後もどうせやるから、受験勉強として今やっておけば得だと思いますけどね。後から英検やTOEICのために英語を勉強するより、今その分、先に受験のために勉強する方が合理的だと思いませんか。今勉強すれば、その英語力は受験にもTOEICにも使えますが、入学後に勉強したらTOEICにしか使えないかもしれません。

数学も世界史も、ちゃんと今の社会とどう関わるかを考えながら、表面的でない学習をすれば、全部今後の人生で役立つものばかりですよ。

それと他人の視線なんて、気にする必要はありません。高校の同級生がうるさいのは卒業式までで、もうほとんどの人とはそれっきりなはずです。大学に行ったら大学デビューでもなんでもして、新しい自分を築けばいいじゃないですか。それに他人の視線を気にして自分の人生を不本意に進めるなんて、考えてみれば馬鹿らしいことです。

本音を言えば、あなたは「この大学に受かるでしょうか?」と質問している時点で、その大学を目指して努力したいと思っているのではないですか?

そのことについて、周囲の人は色々な意見を言うかもしれませんが、私の本心としては「やってみなよ」としか言えません。全力でやれば、どんな結果でも後でそこまで後悔しないものです。そしてあなたに相応の「覚悟」さえあれば、受かります。あなたが見せた「覚悟」に相応しい対価として、志望大学入学と、学歴という一生モノの報酬が支払われるのです。

最後に1つだけ言わせてください。

大丈夫、死にはしません。

***

勉強の面白さを力説し、学びの意義を考え続ける受験コラム

『文客堂』の勉強記事のバックナンバーはこちら

LINEで送る
Pocket

投稿日時: 2019/07/16 ― 最終更新: 2019/11/26
同じテーマの記事を探す