私が勉強を始めた頃というのは、勉強の世界というのはワケワカラン言葉を話す異民族がたむろする魔界だった。古文のヤロウも数学のヤロウも、何を話しているのかサッパリわからないし、道で遭うなり唾をペッ!と飛ばし「やるか?あ?やるか?」とガン飛ばし合うような修羅の世界だった。

しかし私が考えたのは、それぞれの科目を得意にするには、最終的には必ず各科目と友達にならなければならないだろう、ということであった。

「その科目だけ異常に得意なやつ」の特徴

つまり、学校ではどのクラスにも1人か2人くらいは「他の科目は全然できんが、ある科目だけトップクラスに得意」みたいなやつがいた。で、そういう人間をヨクヨク観察してみると、大抵の場合、日本史が得意な歴史オタクであったり、地理が得意な鉄道オタクであったりする。

そういう人たちは、最初からその科目と敵対していないのである。友達なのである。だから勉強するにもストレスは溜まらないし、相手のことを受け入れているから、無理なく知識がどんどん入ってくる。人間、好きなもの、興味あるものに対しては記憶力が非常に良くなるものである。

しかも知識を「試験に出ているから覚えている」のではなく「好きだから覚えている」ため、各知識が有機的に繋がっており、豊かな生きた知識として息づき、忘れることがない。

合気の達人、塩田剛三は生前「合気道で一番強い技はなんですか?」と聞かれ「それは自分を殺しに来た相手と友達になってしまうことさ」と答えたそうである。勉強の場合もこれと同じで、苦手科目をやっつける!あいつは敵だ!と考えるのではなく、友達になってしまえば勝手に問題が解決する。

私が考えたのは「自分が勉強するどの科目に対しても、この『なぜかその科目だけトップクラスのやつ』のように友達になれれば、最強なのではないか?」ということなのである。

科目と友達になるためには

相手と友人になる第一歩は、まず、相手の長所を発見すること。だから私は「その科目にはどういう面白味があるか」「その科目がどう現実世界と関わっているか」「今後の人生にどう活きるか」といったことを、勉強しながら常に考えるクセをつけた。

すると、どの科目に対しても様々な美点を見出すことができ、面白いことが段々分かってきたのである。

例えば古文は古い日本語を使っているから、言葉の意味合いがどう変化したのかを知る格好のサンプルである。古い時代の日本語に触れると、より日本語の根源に迫ることができる。「そうか、『わかる』って『わける』ことから来てるんだなぁ。どんなことでも、選り分けたり、他のものと区別することが『理解する』ということなんだ」と感動できる。他にも古い説話や文学に触れることで、日本人が大切にしてきた感性、現在では失われてしまったものを知ることができる。

数学にも色々と面白いことがある。特に統計や確率はこれからの時代、商売人の嘘に騙されずに生きていくのに必須の知識であると感じた。他にも私は「場合の数」の単元がお気に入りで「数えるものが大変だったものが、視点を変えるだけでサッと数えられる」ことを発見したときなど、胸が踊った。しかし一番気に入ったのは整数問題で「整数問題って、ゲームじゃん」と思いながら、暇なときに色々な問題を解いたものである。

全ての受験科目は学んで大いに得する

「受験勉強なんて、社会に出たら役に立たないよね」のような斜に構えた態度は、なんの得にもならないし、それは勉強が嫌いだったり苦手な人間のひがみなのだ。それになぜ、国語や世界史を高校まで勉強するかというと、これらの科目に対する知識がこれからの人間社会を生きるためのベースとなるからである。

大学に行けば色々と専門的な知識を学ぶが、それよりこういった基礎科目の方が遥かに応用範囲が広く、様々なことに接続している。ニュースを見ていれば世界史が役に立たない日はないし、国語で鍛えた読解力や感性が、以後の人生で活字を読む際の基礎力となる。

私はセンターも含めると合計7科目を勉強したが、今では「受験科目のどれ1つとして、学んで損するものはなし」と断言できる。

このように全ての科目と少しずつ和解し、仲良くなっていくことで、勉強するときに受けるストレスや不安を感じなくなっていった。最終的には、私は全ての科目と仲良くなることに成功し、昔は路上で遭うたびに激突していた彼らとも、今では肩を組んで歌い踊る仲である。

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勉強の面白さを力説し、学びの意義を考え続ける受験コラム

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投稿日時: 2019/10/01 ― 最終更新: 2019/11/01
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