苦手科目があることは素晴らしい。苦手科目こそ、勉強の花である。

苦手科目があるということは、それだけ伸びしろがあるということである。苦手科目があるということは、それだけやるべきことが明確だということである。このような伸びしろの大きさこそ、未来の可能性であり、情熱のガソリンである。

勉強というのは苦手科目という「コンプレックス」を最大限に利用して伸ばすべきである。苦手科目を人並みへ、ではなく、苦手科目を得意科目へ。かつて苦手科目だったもので、他の受験生を圧倒することほど愉快なことはなく、こうなれば勉強がグッと楽しくなる。

苦手科目が生まれるのは「頭が悪いから」ではない

苦手科目というのは、大抵の場合、何かのキッカケで勉強が停滞して「自分はこの科目ができないんだ」と思い込んで発生するものだと思う。できないからやりたくない、という負のスパイラルに入ってしまう。

苦手意識が生まれるキッカケは、私の経験から言えば大抵の場合、教師との相性にある。イヤな先生や下手な先生にあたれば自然と苦手になるし、逆に面白い先生にあたれば、それだけで得意科目になりがち。

あるいは三角関数とか、特定の考えがどうしてもスッと入ってこず「苦手だ!」と身構えて、以後勉強を避けるようになったりする。テストでたまたま低い点を取ったのがキッカケ、という場合もあるだろう。

私も高校生のとき、三角関数に謎の拒否感があり、昔はサインコサインと聞いただけで発狂しそうだった。勉強を再開したときも「三角関数か……」と少し身構えたのだが、焦らず怖がらず、他の科目と同じようにじっくり勉強したら、問題なく理解できて拍子抜けした記憶がある。「今まで何を怖がってたんだ」と思った。三角関数が苦手なのは思い込みだったのだ。

コンプレックスをバネにすると最強になれる

苦手科目というのが、過去のちょっとした不幸やつまづきから生まれるのだとすれば、それは後からいくらでも挽回可能ということになる。

英語が苦手な、そこのあなた。よく想像して御覧なさい。あなたが「自分は英語が苦手なんだ!」という長年抱えたコンプレックスをエネルギーにかえて一念発起、馬車馬のごとく英文を読み漁り、周囲から「英語だけはあいつに勝てる気がしない」「英語のカタマリ」「人間英和大辞典」と呼ばれたら、すごく楽しい気がするでしょう?目指したくなるでしょう?

それともこの後一生「いやぁ、受験時代から英語って苦手で……」と言い続ける後悔を残して受験を終えますか?受験生のうちにケリをつけ、「英語が得意な自分」として、これから先の何十年という人生を過ごしますか?

ここが、運命の分かれ道なのである。すなわち、ここで猛然と覚醒して「私は、英語の天才だった」ということに気がつき、単語・文法・英文解釈をブラックホールのように飲み込みまくること。ここで有効なのは「局所的集中勉強法」である。

親や周囲に「あいつは発狂した」と言われたり、笑われても、まず、気にしちゃぁいけない。「ちょっとばかし、見ていなさい」、そう心の中で言い切って、朝も昼も夜もなく学習に励む。あなたの周りはまだ笑っている。1ヶ月が過ぎてもまだ苦笑い。

しかし読み込んだ参考書の縁がヨレ、解き尽くした問題集が本棚のスキマを埋め始める頃、誰もあなたのことを笑える者はいなくなっている。成績グラフは天井を突き刺す。周囲はむしろ「ここの訳、分からないんだけど」と教えを請うようになり、「ちょっと英検殺してくるわ……」と去りゆくあなたに万歳三唱。

与沢翼という欲望の権化のような資産家がいるが、肥満だった彼が「デブが痩せたら最強だと思うんすよ!」と発言したとき、私は「何を言っているのかはわからんが、何を言いたいかはわかる」と頷いたものである。そして与沢翼は「デブが痩せたら最強になる!」を信念に猛然とダイエットに励み、細マッチョとして生まれ変わり、顔を合わせた知人全員から「誰?」と聞かれるようになったのである。

苦手科目には勝利しか残されていない

勉強というのはそうやって伸ばすものなのである。苦手科目だからこそ、克服のしがいがある。勉強に夢がある。苦手科目を持っている者は、既に勝っている。何故なら苦手科目というのは伸びる一方であり、勉強の勝利しか残されていないからである。

その点でいうと、私の場合はまあ楽しかった。何しろ高校を中退して10年間、一切勉強をしてなかったので、自慢というわけではないが、全科目もれなく苦手科目だったのである。

しかし「苦手科目を持っている者は、既に勝っている」という論理に従えば、全科目苦手ならば、既に大勝利しているということになる。全科目苦手ならこれ以上負けようがない。だから勉強すれば楽しい楽しい。毎日知識が増えて、苦手がどんどん得意に変わっていき、毎日「勝ってる」から。私は「全科目が10年間苦手だった」という恐るべき底辺にいたからこそ、その積もり積もったコンプレックスパワーを核爆発させて大気圏を突破し、勢い余って東大に合格してしまったのである。

苦手だったからこそ、できると感動する

逆に「なんか分からないけど、はじめから上手くいっちゃうもの」というのは、存外夢中になれず、案外あっさり止めてしまうものである。それができるのが当たり前なので、できることの感動がないのだ。

語学の達人である黒田龍之助先生は『外国語の水曜日』の中で「自分より語学の才に長けた人達はいくらでもいたが、彼らはすぐ上達したがために途中で止めてしまい、語学に不器用だった自分はずっと続けて現在のようになった」といった主旨のことを述べていた。苦手は達人の母なのである。格闘技のチャンピオンに存外「昔はいじめられっ子だった」というエピソードが多いのと同じ。

ここまで説明すれば、皆さんにも「苦手科目こそ、その受験生の最大の長所」ということが、極めて当然の理屈としてご理解いただけたと思う。世界史が覚えられない?素晴らしい!数学が大の苦手?そら来た!

コンプレックスが強いほど、バネの「タメ」は強力になり、その力を利用して大躍進すれば、肥満体から高密度の筋肉のカタマリに生まれ変わった与沢翼のように、その辺のちょっとした「得意」など足元にも及ばない実力者になれるだろう。

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勉強の面白さを力説し、学びの意義を考え続ける受験コラム

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投稿日時: 2019/09/30 ― 最終更新: 2019/11/01
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