エドワード・ジェンナー(1749-1823)、天然痘ワクチンを開発
「考えてばかりいないで実践してみなさい。ただし、忍耐強く正確にやってみることだ」 (彼の師の教え)

東大世界史の勉強をはじめたとき「世界史は暗記だ」と思っていた。論述問題を読み込むようになってから「世界史には事実の深い理解も必要だ」と考えた。そして勉強をさらに進め、合格点レベルに達してから「世界史は結局暗記だ」に戻ってきた。

なぜそうなったかというと、これは論述問題の勉強法について述べた記事にも書いたが、結局のところ実際の試験で点数を取るには「知っていることを書く」のが全てであって、どんなに世界史の個々の出来事を詳しく掘り下げていても「知らないことは書けない」からである。これは少し悲しい事実であるが、最終的には世界史は知識の暴力で勝負が決まってしまうのである。

知らないことは書けない

このことについて、私が何度も書いている「ストーリー」の重要性や、楽しんで勉強している人間が最強といった言説と矛盾していると感じる人もいるかもしれないが、そうではない。世界史の知識を有機的に関連付け、世界史を得意になる(=どんどん知識を増やす)には、今まで書いてきたようなことが重要である。従って、勉強の過程においては世界史の無味乾燥な暗記物の塊ではなく、生きたストーリーとして学ぶことで世界史が得意になる。

しかし勉強を終えた後の試験の段階では、もはやそこで頼りになるのは「今持っている知識」だけなのである。「今持っている知識」以上のものは引き出せないし、降ってこない。つまり東大世界史2003年の「サバンナ号」を答えさせるような難問(ほとんど悪問)に対して、どんなに豊かな世界史教養を身に着けていても「そんなもん、知らん」となれば問題は解けないのである(もちろんこんな問題は無視していいし、備える必要もないが)。

世界史の試験で得点に変換できるのは、試験日までに溜め込んだ知識だけで、試験場で頭をひねっても点数は向上しない。試験中に可能なのは思い出すことと、整理することだけである。この厳しい現実について、受験生は誤解してはならない。

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勉強の面白さを力説し、学びの意義を考え続ける受験コラム

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投稿日時: 2019/09/29 ― 最終更新: 2019/12/01
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