セオドア・ルーズベルト(1858-1919)、棍棒外交を展開した米大統領
「ミスをしない人間は、何もしない人間だけだ」「自分ならできると信じれば、もう半分は終わったようなものだ」

「世界史の学習は教科書に終わる」というのは事実である。世界史は、最終的に教科書をどれだけ深く読み込んでいるかで成績が決まると言っても過言ではない。恐らくあらゆる大学の世界史問題は、教科書で合格点が取れる。東大世界史も教科書だけで9割を目指せるだろう。

しかしだからといって「世界史の学習は教科書に始まる」かというと、これはかなり疑問。なぜなら世界史の教科書というのは初級レベルが読むには高密度過ぎるからだ。

「教科書だけ」では最初は覚えにくい

これは「受験に参考書が不要なはずがない」でも書いたことだが、教科書というのは文部科学省の定めたガイドラインによってページ数が大体決まっており、その制約のなかで、さらに必要な事項を全て盛り込まなければならない。世界史の高校範囲は長大である。従って、恐ろしく高密度な文章にならざるを得ない。

これは世界史の参考書を見ればすぐ分かる。世界史を網羅している参考書は、分冊にして4冊くらい、ページ数でいうと800-1000ページほどになるのが普通である。本来、これくらいのページ数が必要なのである。

こうした事情で教科書はもっぱら「AがBして、Cになった」のような事実の羅列に終止しがちにながり、記憶の補強や因果関係の把握のために必要な「なぜそうなったか」「そこにはどんな狙いがあったか」「歴史を生き生きと学ぶための余談」といったものに乏しい。したがってそういったものを知らない人が頑張って読んでも、「ストーリー」が見えてこないので、なかなか記憶に定着しない。

私は世の中の受験生の世界史ギライの犯人は、この教科書の存在にあると睨んでいる。教科書をまともに読めるようになるのは、書かれている史実の因果関係などをある程度把握している中級レベルからである。世界史の教科書は行間を読めないと読みこなせないのである。これは定番となっている山川のものでも同じである。

他の例でいうと、哲学の勉強をしようと思っていきなりハイデガーの『存在と時間』を読み始めるようなもの(高校生には分かりにくい例かも。すまない)。ハイデガーの文章って、メチャクチャ読みにくい。もうそれは恐ろしく読みにくい。嫌がらせかと思うほど読みにくい(嫌がらせです!)。多分書いた本人も読めないほど読みにくい(読めません!)。だから他の解説本を読んだ方がずっとわかりやすいのである(ありゃ、いつの間にかハイデガー批判になってしまった)。

そんなわけだから、世界史の授業を、教科書を適当に朗読しながら適当な解説を加えるような授業をしている教室で、世界史ギライ、世界史が苦手な生徒が量産されるというのは無理のない話。またあなたがいざ試験勉強をしようとして、教科書を読んで「なるほど、ワカラン」と絶望し、読んでいるうちに眠ってしまうのも全部文部科学省が悪い。

世界史はまず、丁寧な参考書で学習すべきである。完全な初級レベルであれば、マンガがベストとなるだろう。

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投稿日時: 2019/08/29 ― 最終更新: 2019/12/01
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