大学へ行って、さあ俺はこの世の森羅万象を学びまくるぞ、と本気で息巻いている大学生がまず、いの一番に何をすべきかというと、それは大学の正門を出て帰宅することである。

これは考えてみれば当たり前のことなのだが、勉強に最も適した場所は自室か、図書館か、喫茶店か、さもなくば静かな森の中である。少なくとも大学の教室でないことだけは確かである。

勉強というのは、本人に本気で学ぶ意思があるなら本を読んだ方が理解が早く、しかも積極的な姿勢で学ぶから言葉が五臓六腑に染み渡ってくる。逆に教授の授業を受け身でダラダラ聞くのは、座っているだけで勉強した気分になれるので楽ではあるが、進行は遅いし、下手すると授業の内容も屁の河童くらいどうでもいいことがある。面白い授業をする教授というのは例外的である(参考:「授業の上手い教授の特徴」)。

「授業は学習意欲旺盛な生徒のためにある」というのは完全にあべこべで、授業というのはもっぱら「特に勉強したいわけではないが卒業はしたい生徒」への救済措置として存在するのであり、本気で学びたい人間は自宅で四六時中、テキストに噛み付いている。つまり授業をサボることこそ、学びに対するより真摯な姿勢の表れなのである。

教授の授業より、皆さんが本を読んだ方が理解が早い。これも人間の身体機能を鑑みれば自然な話で、口を動かして発音するより目が文字を追う速度の方が早い。さらに教授は若くても年齢が40歳くらい、年季の入ってる人だと既に還暦だから、若い学生の読解速度がポルシェだとすると、教授のプレゼンはダイハツ・タントくらいの速度である。ダイハツ・タントだと、宇宙の真理に到達する前に宇宙が死ぬ。

また大学の授業では、講師が生徒を指定して質問に答えさせるという場面にしばしば遭遇するが、これもハッキリ言って無駄。クイズ番組じゃないんだから。

人権問題について討論しているのなら別だが、大学の授業目的というのは基本的に事実を学んで知識を増やすことがほとんどなのだから、他の素人が口をモゴモゴさせているのを待つ時間が無駄である。ついでに言えば日本の大学生というのは非常にシャイで他人の視線に敏感なため、テキパキ、スッと応答できる生徒が存外少なく、待っている間に貧乏ゆすりの音が響くこと請け合いである。

なお勉強もしたくないが、授業にも出たくないという生来より学校に馴染まない人種はどうすればいいのかというと、自宅で映画をひたすら観ているのがベストである。

手塚治虫とか、荒木飛呂彦とか、庵野秀明とか、コンスタントにヒットを生み続ける創作人はみんな学生時代から映画を観まくっている。手塚が年間365本、荒木飛呂彦が200-300本、庵野秀明は1,000本くらい(これは根拠薄弱)という話も聞いた。映画というのは監督らの血尿と大量のリソースを練り合わせて作り出した創意工夫の塊であって、成功したクリエイターはそれらを元ネタとして大量の引き出しを作っていたからこそ、ヒット作を次々に生み出したのである。

まあ大切なのは数じゃなく、自分にとっての傑作を見つけることではあるが、見つけるために数をこなすことが必要なのである。 って、何の話をしてたんだっけ?

「君たちはいつも授業に出席しているが、一体いつ勉強しているんだ?」

――東大のある哲学教授

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勉強の面白さを力説し、学びの意義を考え続ける受験コラム

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投稿日時: 2019/09/24 ― 最終更新: 2019/12/01
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