澁澤龍彦
「健全な精神こそ、不健全である」「博愛主義は、うその思想である」

模試の有用性というのも、古の時代から議論され続けているトピックの1つではあるが、少なくとも大手の冠模試(「xx大学模試」みたいなやつ)は、ターゲットとなる大学についてよく研究しており、問題形式も似ていて時間配分の練習にもなるし、合格判定と実際の合格率に相関関係もある。私は、模試の有用性についてはかなり肯定的である。

ところが模試の中でも1つ特殊なものがあって、それは現代文の模試である。正直、現代文の模試についてはアテにならないと思う。

現代文の模試はなぜ自作自演じみてくるのか

これは「現代文の解法は宗教的になる」の記事で詳しく語ったことだが、現代文というのは極めてブラックボックス的な科目であり、講師によって模範解答とするものが大きく異なっていることも珍しくない。それで「私の解法が正しい」というのをそれぞれが主張し合っているのが現状であり、模試の問題はその予備校の作問者特有の「解法=宗派」を色濃く反映したものとなる。

例えば「解答文は“自分の言葉”で書かねばならない」という宗派の予備校(講師)が作成した問題では、当然“自分の言葉”によって書かれた解答、そこの講師が良しとする解答に対して高得点が与えられる。そうなると当然、その宗派に所属する生徒は、自分が普段教わっている通りにやれば点が取れるので有利となる。

しかしこうして高得点を取った生徒に対して「ほら、オレの言った通りやったら高得点が取れただろう。これからもその調子で頑張りなさい」などと言ってみせることに欺瞞があることはすぐ分かる。だってそのやり方が正しいと信じる人達が、それが正しくなるように作った問題なのだから。つまり自分の宗派の正当性をアピールする自作自演なのである。

厳密な問題を作るのは難しい

この他にも現代文の模試には大きな問題が潜んでいて、それは「そもそも現代文の問題は、厳密に作ることが困難」ということである。

センター試験とその模試を例に出そう。センター国語の問題は、2010年以降は難化が止まらずとんでもない量と質になっているが、それでも問題としては厳密に作られている。そのためセンターに対する正しい解法を身に着けた人がちゃんとした訓練を積めば、センター現代文の得点率を9割付近で安定させることは可能である。

センター国語の問題は、かなり計算して作られている。決め手は「正解以外の選択肢に、必ず致命的なケチのつけどころが含まれている」ということである。このため消去法で選べば正解を確定できる原理になっているのである。

ところがこのような欠陥を持つ選択肢を巧妙に含ませるのはやはり難しいらしく、センター模試の問題では得点が安定しにくい。短期間で作成されるため、問題自体の完成度が不十分だからである。また講師の考える「私の理想とする現代文の問題」というイズムが反映されていることもあり、無性格的なセンター国語に比べると全体的にクセがある。

妙なクセがつかないように

以上のような理由で、私は模試における現代文の問題というのは基本的に無視した。一応読解訓練として解答はしたが、どんな点数が来ても気にしなかったし、解答解説もほとんど読まなかった。下手をすると変なクセや思考が植え付けられて危険だと思ったからである。

特に記述式で、自分の解答に高得点がきたときには眉に唾しておきたい。人間、やはり自分の実力が認められると嬉しく、ついついその宗派の色に染まってしまいやすくなるからだ。

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投稿日時: 2019/08/21 ― 最終更新: 2019/12/02
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