坂口安吾
「親がなくとも、子が育つ、ウソです。親があっても、子が育つんだ」「問題は、伝統や貫禄ではなく、実質だ」

現代文の解法を巡っては昔から予備校間で宗教合戦が繰り広げられてきたようである。この宗教戦争の痕跡は、参考書や試験の解答解説、合格体験記など、教室の外に出た様々な書物の中に認めることができる。

つまりSという予備校の“カリスマ講師”が「現代文の解答というのは、“自分の言葉”で解答文を作らねばならない。問題文からそのまま文章を拾ってきてツギハギするようなレベルの低い解法からは早く卒業しなさい」と、受講生たちに向かって高らかに説く。

カリスマ講師というのは、他人を納得させる語り口については天才的だから、それを受けた受講生は感極まって「S先生はこのようにおっしゃっていた。全くその通りだ。僕は感動してしまったよ」と周囲の生徒に吹聴し、盛んに「布教」する。こうしてその地域に、そのカリスマ講師を教祖としてその教えに従う生徒たちという集団が形成される。

一方、Tという予備校の別の“カリスマ講師”はその様子を「ヘンッ」と見下し、自分の生徒たちに向かって「Sの講師が『自分の言葉で解答を作れ』なんて言っていたが、ありゃとんでもない間違いだな。大学側はそんなもの求めちゃいないよ。現代文っていうのは、要は文章を正しく理解できたか問うてるんだから、文中から適切な言葉を拾ってくるべきなんだよ」と公然と否定し、次に自分の解法がどれほど論理的で、誰でも使えるものであるかを説明する。

もちろんこちらのカリスマ講師も大変説明が巧みであるので、その講義を受けた生徒たちはたちまち感服し「あれこそ真の現代文の解法だな。それに比べるとSの講師の言っていたことは、てんで間違っているな」と吹聴して、S予備校の対抗勢力となる新たな宗派が誕生する。

教祖以下の争い

さて、同じ予備校内にも実際にはいくつかの宗派が存在するのだが、同じ予備校でカリスマ講師として君臨する人間と対立すると、同じ校内で解説方針に混乱が生じてしまうので、その立場は微妙で、どうしても同じ予備校のカリスマ講師の宗派に寄ったものにならざるを得ない。こうして各予備校は、大まかにはその団体の抱えるカリスマ講師を頂点とする、1つの巨大な現代文宗教団体を形成することになる。

私は自分1人で勉強することによる情報不足を補うため、合格体験記はかなり大量に読み込んだのだが、合格体験記の中の「科目別勉強法」の欄で、自分の宗派について力説する学生をしばしば見かけた。さながら中世の宗教戦争のように。

現代文がどう採点されているのか誰も分からない

現代文の解法はなぜ宗教じみてくるのか。その原因は間違いなく、現代文という科目の曖昧性にある。現代文はセンター国語など解答が公表されている一部のものを除き、最終的に解答を確定させることができず、さらに日本語を使って極めて自由に解答を作成することができる。

現代文がどのような基準で採点されているかなんて、ほとんどブラックボックスとなっているし、大学によっても方針が違うかもしれないから、受験生としてはどう勉強したらいいのかいつも不安で、そこで「私はこのブラックボックスの中身を知っている」と力強く唱えるカリスマ的指導者についていかざるを得ない。これはまさに「私は死後の世界を知っている」と叫んで民衆を先導する宗教のグルと同じである。そして教祖の正しさを裏付けるような、まことしやかな噂も無限に積み上がり、結局どちらが正しいのかは最後まで確定させることができない。

どちらかの指導者が「自分のやり方は間違っているんじゃないか」と思っても、彼らがそれを認める日は来ない。なぜならそれを認めると、それまで積み上げてきた授業も、参考書も、解答解説も、全てが無に帰すからである。だからむしろ彼らは、自分の正当性をより強く、強く主張し続ける。

このような事情があるため、現代文の解法というのは必然的に宗教的なものとなる。

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勉強の面白さを力説し、学びの意義を考え続ける受験コラム

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投稿日時: 2019/08/21 ― 最終更新: 2019/12/02
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