志賀直哉
「幸福は弱く、不幸は強い」「仕事は目的である。仕事をはっきりと目的と思ってやっている男には、結果は大した問題ではない」

国語で点を取れている人には「何をいまさら」な話題かもしれない。ただ誤解していると、現代文の解答において致命的なので書いておきたい。(なおここでは主に入試の国語について書いているのであり、学校の校内テストでは当てはまらないかもしれない)。

国語の問題では、本文の筆者こそが「神」であり、本文は神により地上にもたらされた「宇宙の真理」を記述したバイブルである。国語の問題を解いている間だけは、本文に書かれていること以外は存在しない。

そして国語の問題文というのは全て「あなたは神(=筆者)の言葉を理解できましたか?」と問うているのであり、決して「あなたはどう考えますか?」とは聞いていない。従って「普通に考えてこうだろう」などと、一般的な質問に答えるかのように、本文以外の根拠を用いて書いてはいけない。書くべきことは「神はこうおっしゃっていた」ということだけである。

神の書き記した本文を前にして、「オレはこう考えたんだけど」などという痕跡を1mmでも残す傲慢な愚か者は、大採点官の怒りに触れて減点され、大学に落ち、恋人に振られ、一家離散の末に、多摩川のほとりで変わり果てた姿で発見される悲運を辿るであろう。

具体的に示そう。例えば本文の方で「カラスは白いのである」と結論づけられていたとする。そしてもし問題文で「カラスは何色か」と問われれば「白」と答えるのが正しいのである。「なぜか」と問われれば「神がこのようにおっしゃっていたから」と述べるべきであり、腕組みしながら天井を見上げて思案し「思うに、それは……」と自分で理由を考えてはいけない。それが「読解力」、つまり相手の意見を正確に把握する能力のテストである。

国語の問題というのは、あくまで「読解力」を試すものであり、「意見の作成」や「文章力」を試すのは小論文なので、ここを取り違えないようにしよう。

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投稿日時: 2019/09/21 ― 最終更新: 2019/12/02
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