三島由紀夫
「ほしいものが手に入らないという最大の理由は、それを手に入れたいと望んだからだ」「精神を凌駕することのできるのは習慣という怪物だけなのだ」

「試験問題は丁寧に解かねばならない」というのは1つの常識だが、だからと言って「試験の文章を全て丁寧に読まねばならない」というわけではない。まして現代文というものは全体が非常に長くて、設問を解いたり内容を理解するのに大して重要でない箇所も多い。というか、重要な部分は一部に限られている。

だから現代文というのは、「あまりガッチリ読み取ろうとせずにサッと読み流す箇所」と「助詞の1つまで丁寧に読み取る箇所」というのは意識的に読み分けないと時間が不足しがちになる。場合によっては、ガッチリ読み取るべきでない箇所を丁寧に読みすぎたために、文全体の大意がよく分からなくなるということすらある。時間をかけて読んでいると「何の話だったっけ?」となりがちで、大意をつかむにはある程度のスピードも必要である。

では読解の重要な箇所をどう見抜くのか。簡単な例を挙げれば「たとえ話」とか「他の文章からの引用」とかは、ほぼ「サッと読み」で十分。「この箇所は、こういうことを説明するために挿入されたんだな」と自分の頭の中で要約してしまえば事足りる。これらの箇所は、あくまで読解の補助のために挿入されるので、それ自体が文章の核となっているケースはまずない。

この「読解に濃淡をつける」というテクニックは、現代文だけでなくあらゆる科目で、もっと言えば、あらゆる読書で有効である。読書をすぐ放り出してしまう人の中には、完璧主義者が多いのではないだろうか。筆者というのは重要なことを力説するあまり、つい長ったらしい文章を書いてしまうものなので、それに生真面目に付き合う必要はないのである。

こういう読解テクニックは、普段から活字に親しんでいる人や国語の成績が良い人は無意識のうちに実行していると思うが、生真面目な人や完璧主義者ほど頭から爪先まで丁寧に対処しようとして損をするので注意が必要である。

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投稿日時: 2019/09/20 ― 最終更新: 2019/12/02
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