J.D. Salinger “The Catcher in the Rye”

学校での英語教育への批判として「学校で6年間英語勉強したのに、全然しゃべれない!」というものがある。私はこれをおかしな話だと思っていて、学校ではそもそも英語で会話するための教育が行われていないのである。

「喋る」のと「読む」のは、能力の本当に基礎的な部分では共通しているが、内容は相当に別物。「喋る」と「書く」でもかなり距離があるのに「読む」との距離の間は絶望的なくらい広くて、中間に断崖絶壁が広がっている。

英会話はスポーツ

「喋る」能力、つまりスピーキングというのは、ほとんど「運動」であり「スポーツ」と一緒。つまりある種の感情(「嬉しい」「かゆい」「ムカつく」)と、その感情を発音するという行為がイコールで結ばれて、例えば蚊に刺された箇所をかきながら無意識に「かゆ~い」という言葉が出てくるようになって、初めて本当の意味で喋れている状態になる。逆に、言語を「感情を表す記号」として頭で考えて選択しているうちは、まだ本当の意味で喋れているわけではない。

わかり易い例は「サンキュー(Thank you)」。日本人の若い人なら誰でも「ありがたい」という感情が発生したときに「サンキュー」という声の運動を無意識に作り出すことができるし、受け手も「サンキュー」を「サンキュー」のまま受け取ることができる。

ここでは「サンキューはありがとうって意味だから、彼は感謝を表したいんだ」という解釈が介在することはない。なぜこれが自然にできるかというと、日常の「感謝の場面」で「サンキュー」という単語を死ぬほど聞いている(反復している)からである。

テニスや野球で打球を見た時も、無意識に身体が最適な位置に移動して最適な角度を取るのと同じで、この時「これくらいの角度かな」とか意識していないはずである。

頭で作文してから発音するのは、まだ「書く」能力の範疇だと思う。多くの日本人は、頭の中で作文してから発声する擬似的なスピーキングで急場をしのいでいるはずである。

会話は主に身体運動的な行為であり、読む・書くは精神運動に近いと言えるだろう。もっと正確に言えば読む・書くも、かなりの部分身体運動なのだが、精神運動で補うことが可能なのである。

会話が得意だと全能力が高い?

ちょっと意外な話なのだが、逆に「喋れる」からといって「書く・読む」が必ずしも達者なわけでもない。これは大学でバイリンガルや、会話の上手い留学生を観察していて分かったことである。

日本人は発音コンプレックスが強いので、流暢に喋るとそれだけで「この人はこの言語を完璧にマスターしてる!」と考えてしまう。ところがネイティブのように現地の外国語シャワーで能力を鍛えた人とLINEしたり、その人の作文を読むと、まだまだ細かい文法ミスが多かったり、あるいは小学生のように幼稚な文章を書いたりして、落差にビックリすることがある(その人の能力の偏りによる)。

これは会話だと細かいミスが目立たず、また読解や作文には専用の語彙や訓練が必要であることを示している。会話は発音と速度がとにかく重要だが、作文では速度があってもミスが多かったり表現が乏しいと、非常に拙く見えてしまうためである。

学校ではそもそも英会話能力を養成していない

「喋る」能力とは「運動」能力の訓練、つまり状況(かゆい状態)に呼応する運動(かゆい!という発声)が直接接続され、意識を迂回しても高い精度で再現されるようにするための訓練なのだが、これを週1,2回のスピーキングレッスンで身につけるのはほとんど不可能である。運動を染み込ませるには、短期間であっても集中的な反復が不可欠だから。

しかもほとんど授業は、大人数だから直接指導なんて不可能で、生徒たちがダラダラと適当イングリッシュで時間潰しているだけだろう。そうなると週の実質的な練習時間は1時間未満になるんじゃないだろうか。

考えてみれば分かる。ある人が「野球が上手くなりません!」と相談してきたとして、じゃあどれだけ実践練習しているのか、と聞いたときに「週40分です!」と答えたら「やる気あんのか?」という話になる。

ここで「でも野球の本はいっぱい読んでるし、素振りは毎日してます!」と反論するのが、英語で言えば「でも文法を勉強したり、読解の練習はしてます!」と反論するのと大体同じ。この「野球」は「サッカー」とか「ピアノ」に置き換えてもいい。

読解が全ての基礎であり優先事項

誤解を招かないように書いておくと、私はここで読解や作文能力の重要性を低く見積もっているわけではない。むしろ、英会話よりまず優先すべきは読解だと思っている。私自身、会話より読解や作文の方がずっと得意だ。日本人の「会話を学びたい」という欲求は憧れの感情が強く、より実用的なのは「読む・書く・聴く」の3能力だと思う。

会話は日本国内にいる限りほとんどする機会はないが、それ以外の能力はネットのおかげで活用する機会が飛躍的に増えた(これについては「現代は“大語学時代”である」を参照)。海外ニュースサイトを読んだり、YouTubeでの海外チャンネル視聴したり、通販サイトや取引先とメールしたり、ネットで日常的に活躍する英語能力は「読む・書く・聴く」である人がほとんどだろう。

読解の訓練は全ての英語能力の基礎力を向上させる効果があり、日本人にとって最優先課題である。読解を正確にこなすには単語と文法。だから学校ではまずそれを学ぶし、特に文法は絶対の基礎。そこからさらに上の能力まで獲得しようと思ったら、個々人が学校教育とは別の訓練を積んで向上させるしかない。

まとめると、現行の学校教育で英会話ができないのは当たり前であり、その理由はそもそも英会話に必要な訓練をまともに行っていないからである。だから「学校で6年間勉強したのに英会話できない」のは、あなたの能力が低いせいではないし、本当に身につけたければ集中的な訓練をすればいいだけだろう。

本日の「達人の言葉」

実際に外国人と向き合うことになれば、とにかくジェスチャーでもなんでも、アーでもウーでも言う必要があります。(中略)とにかく言いたいことを伝えなければならないという、切羽詰まった経験をしたことがない人は、教室で学んでいることと外国語を使えるようになるということが、まったくの別物であることを体で知ることが必要です。

橋本陽介によるオーラル授業の批判『7ヶ国語をモノにした人の勉強法』p.200より

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投稿日時: 2019/08/30 ― 最終更新: 2019/12/01
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