図1:三田紀房『ドラゴン桜』3巻, 講談社, 2004年

『ドラゴン桜』は基本的に、参考書に対して否定的な態度をとっているようだ。物語中で参考書について論じられる機会がほとんどなく、数学教師の柳は「東大受験に参考書など必要ない!」と断言している。

いいか……参考書とはそもそもどういうものか……それは“参考”にする書だ。つまり教科書の勉強をする時に補助として使うのだ。けれども基本的に教科書で十分だ。参考書は詳しい教科書だが詳しすぎて使いづらい。

『ドラゴン桜』3巻

東大受験は教科書をきっちり理解すれば合格できる。つまり教科書の内容以上の問題は出ない……ということだ!

『ドラゴン桜』3巻

さて、私は逆に参考書だけを頼りに独学してきたので、当然この柳の主張には反対である。

参考書は積極的に活用すべき

そもそもこの『ドラゴン桜』内での「参考書」の定義は、どうも「教科書+αの内容が書かれた分厚い本」「辞書型のテキスト」になっているが、このタイプの参考書は全体の中でも一部である。

参考書には入門レベルを分かりやすく噛み砕いた講義型のものとか、入試の解法までの思考過程を解説したものなど、様々な種類が存在する。むしろ密度やボリューム的には、教科書未満の読みやすいものが多いのではないだろうか。そういったものを、自分のレベルや好みに合わせて読み込んでいく方が、無味乾燥な解説を徹底している教科書を無理に使うより自然である。

「参考書」は「参考にする書」なのだろうか?ずっと以前はそうだったかもしれないが、今では純粋な「受験のためのテキストの1つ」だ。参考書を中心に勉強しても、それで合格にたどり着けない、非効率的ということは全くない。

それどころか、教科によっては「教科書だけの勉強」は、かなり非効率的になるし、受験レベルに達せないものもある。

教科書は厳しい制限の中で作られているため、限界を持つ

例えば世界史や日本史の教科書は、ページ数制限の中で大量の史実を述べるために、相当高密度な文章になっており、歴史の初心者には読解自体が困難である。世界史の教科書は400ページ程度だが、網羅型の世界史参考書は大体800ページくらい費やして解説する。

本来それくらい文字数が必要な分量なのだが、教科書は「何故歴史がそのように進行することになったのか」といった背景事情を詳述せずに、主に事実を並べながら「AがBして、Cとなった」のように簡潔に述べていくので、これだけで十分な歴史理解は困難と言える。本来、この辺りは教員の解説でフォローすることになっているのだろう。

数学にしても、教科書に載っているのは極めて基本的な考え方や公式ばかりである。応用問題は基礎の組み合わせとは言え、教科書だけのやり込みでは東大はおろか、もっと簡単な私大でも、合格レベルに達するかも怪しい。厳しい制限時間の中で問題を解くには、典型的な問題の解法や考え方はある程度頭に入れておかないと、どんなに優れた頭の回転を持つ生徒でも、まず時間が足りなくなるだろう。

教科によっては、そもそも受験でほとんど役に立たない教科書もある。文系で言うとそれは地理である。私は地理を使って受験したが、教科書はある程度読んで「これは役に立たん」と見切り、後はひたすら参考書と問題集で対処した。教科書だと、小・中学校の「社会の教科書」の延長のような作りで、かなり冗長で受験勉強に関係ない記述が多すぎるのだ。読み物としては悪くないが、専門的な内容を知りたいのなら素直に参考書を読めば済む話。

教科書作成者の話も聞いたことがあるが、教科書はページ数や内容がかなり細かく指定されているため、自由に作ることができないのだという。これは指導要領に沿って、全国の高校で使われることを前提に作られているのだから、仕方のないことだ。

要するに、教科書と参考書はそもそもの目的が違うのである。教科書は学校で用いるためのテキストであり、参考書は主に受験に向けたテキストである。世界史・日本史のように、最後まで教科書がバイブルとなる教科もあるが、せっかく存在する優れた参考書を使わずに受験勉強をするのは勿体ない話だ。

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投稿日時: 2019/07/02 ― 最終更新: 2019/11/05
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