図1:三田紀房『ドラゴン桜』2巻, 講談社, 2004年

受験漫画『ドラゴン桜』の序盤で矢島と水野が行ったのが「互いに問題を作って互いに解く」という勉強法である。意図が掴めない彼らに対し、数学教師の柳は「問題は人間が考えて解く人のために作るもの」という助言を与える(図1)。結果として、この言葉の意味を汲み取った水野が「そもそも何故問題が存在するのか」に気付いて勝利する。

水野は次のように語る。

解く相手に問いかけることなのよ。公式を理解してますか?その公式、正しく使えますか?それを文章に惑わされずきちんと数式に表せますか?…ってね。

『ドラゴン桜』2巻

柳の回答はこうだ。

文章題を攻略するには、まず出題者の意図を読み取ること。これさえできれば何も恐れなくていい。またそのためには時々、自分で問題を作ってみることが非常に有効なのだ。

『ドラゴン桜』2巻

さてこの部分、全体としては「作問者の立場に立って意図を汲み取れば、問題を解きやすくなるかもね」みたいな感じで、サラッと「ちょっとイイハナシ」みたいに終わっているが、彼らはここで、入試攻略の核心に触れている。この箇所は、実は極めて重要である。

「作問者の意図」を考えることが奥義である

「作問者の意図を汲み取る」……このことを「そんなの当たり前だろ」と思う人も多いかもしれないし、私もそう思っていた。ところがそれを本当の意味で理解していなかったことに気付いたのが、現代文の勉強をしていたときなのである。

私は現代文の解答ポイントがズレてしまうことについて悩んでいたのだが、この「作問者の意図を汲み取る」ということ、もっと言えば「自分が入試問題で戦っている相手は誰なのか」を認識した瞬間に、全てがパッと開けた感覚を味わったのである。

私はそれまで問題文そのものと格闘していたし、現代文とはそういうものだと思いこんでいたが、実は私が相対していたのは、筆者(問題の本文)ではなく、ずっと作問者であったと気付いたのである。

それ以来、私は現代文の解答で迷うことは減った。少なくとも「どういうことを書けばいいのか分からない」という事態はなくなった。センター現代文での得点率が9割以上で安定するようになったのは、この奥義を掴んだからである(→「東大A判定を安定して取れる状態での解き心地と秘訣」)。

この洞察を「選択式問題の限界」に複合することで、例えば作問にスキの多かった2013年度のセンター漢文などは、大半の問題を「本文を読まずに」解くという、文部科学省をあざ笑うが如き悪魔的な解答さえ可能である。

簡単な例を出すと、現代文で「教育には愛と温もりが必要である」に傍線が引いてあって「これはどういうことか。選択肢から選べ」という問題があっとする(こんな問題ないけど、単純な例として)。これだったら、急所は「と」という助詞で、これを見て「ああ、並列構造について問いたいのか」と分かる。分かればもう致命的な外し方はしない。

これが「本当に相対している相手は作問者」という意味で、逆に相手が「筆者」だと思いこんでいると、いきなり本文から根拠を探そうとしても解答を確定させられず、間違える危険性がある。

このような「視点の転換」により、私は国語だけでなく、数学、世界史……あらゆる科目で解答するときに自信を得られるようになった。何故ならあらゆる試験問題は、作問者がいるという点では同じだからである(→「勉強が進むと、個別のものが一つにまとまってくる」)。

作問者がいるということは、それぞれの問題に「この部分を理解できているか問いたい」「こういう解答を書いてほしい」という「願い」が存在する、ということである。重要なのは、その「願い」が何であるか見抜くことだったのだ。

別に問題を自分で作る必要はない

ところで「自分で問題を作る」というのは、実際にやるとかなり大変である。小・中学生レベルの問題ならまだいいが、数学の問題は厳密性なども考えると、受験生が作問するのは難しい。もちろん文章題でなければ意味がない。また手間暇もかかるので、私としては入試の過去問(特に志望校の)をじっくり見て、作問者の意図について考えれば十分であると思う。

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投稿日時: 2019/06/27 ― 最終更新: 2019/11/25
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