図1:三田紀房『ドラゴン桜』2巻, 講談社, 2004年

「勉強は遊びだ!」に続いて飛び出した数学教師・柳の金言(暴言?)が「満点でなくてはいかあん!」である(図1)。遊びというアメの次に、満点縛りというムチをいれる。さすが、自らの塾が廃校に追い込まれるほどにスパルタ教育を追求した教師のシステムはえげつない。勉強が遊びなのか絶滅闘争なのか混乱するが、とにかく説得力だけは半端ない。

柳は一問5秒で計算問題を繰り返す100問ペーパーによるスパルタ特訓を行い、ミスをした生徒を叱責する。「ほぼ出来てんだからいいじゃん……」と楯突いた矢島に対し「満点でなくてはいかあん!」を繰り出す。

ひとつ不正解で99点は0点と同じ!満点以外は意味がないんだ!

『ドラゴン桜』2巻

99点で満足するやつは、次のテストで98点でもだいたい良しとする。そうすると97,96でも許してしまう。そうやって妥協する。自分を甘やかす!楽なほうへ自分を逃がす!

『ドラゴン桜』2巻

柳の述べているところは精神論的な部分が強いが、恐らくその意図は、半分本気で半分方便であろう。私自身は「テストで満点を取らねばならない」という意識で勉強したことはほとんどない。東大入試は7割の得点率で安定して合格できるように作られているし、大抵のテストの類は9割付近の点を安定して取れるなら、そのレベルで問われていることはほぼ理解できていることになる。「満点」を目指して煮詰め過ぎても、重箱の隅を探るような細かい勉強になってしまい、時間ばかりかかって勉強全体は捗らなくなる。そうなると勉強が辛くなってしまうかもしれない。

勉強は基本的に70-90%くらいの理解度に達したら次のレベルに進んだ方がいい。一時的に100%の状態に達しても忘却と共にどうせ70%くらいまで低下するので、それより適度に間を空けながら反復して覚え直した方が、最終的に吸収効率が上がる。

ただ数学の問題で「満点を取れ!」という意図は別にあるかもしれない(図2)。本番では、わずかな計算ミスによる減点が致命的となる危険性がある。そのため、わずかなミスも冒さない徹底したミス防止や、鋭い集中力を保った状態を維持する訓練としては「計算100問で満点を取る」という特訓は、それほどナンセンスではない。

図2:『ドラゴン桜』2巻

ところで私は大学入学後、中国語の授業で毎回出される小テストで「全て満点」を目指して学友と競ったところ、これが中々盛り上がったことを付け加えておきたい。100点を目指す学習は、90点を目指す学習とは質が根本的に異なる。90点は90%の勉強で取れるだろうが、100点を安定して取るためには、120%の徹底した勉強を実行せねばならない。何故ならわずかなミスも、少しの理解不足も許されないからだ。そのため自分で小テストの模試を作成し、演習までする必要が生まれる。

同様のことは「1位を目指す学習」にも言えるだろう。『かぐや様は告らせたい』という人気マンガで、主人公の白銀が学年主席の座を守るべく壮絶な試験勉強に身を投じる話があるが、「最高を目指す」というのはそういうことなのだ。

このように徹底してパーフェクトを目指す学習は、自分に余裕があるときなら「楽しいゲーム」と化す。 それが程よい意欲増強剤となるなら、満点を目指す勉強も有意義だ。私の場合、このゲームの過程でかなり中国語の基礎が身につき、実に有意義な遊びだったと感じている(なおかなり頑張ったのだが、毎回100点は無理だった。やはりたまにミスが出た)。

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投稿日時: 2019/05/26 ― 最終更新: 2019/11/26
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