図1:三田紀房『ドラゴン桜』2巻, 講談社, 2004年

『ドラゴン桜』の数学教師・柳の遺した最も印象深い台詞は何か?それは恐らく彼が龍山高校にやって来た直後に放った「数学とは……ゲーム……遊びだ!」であろう(図1)。まるで『賭博黙示録カイジ』に出てきそうなリズムの台詞である。

勉強と思うからイヤになる……これは解答という結果を出し達成感を味わうゲームなのだ。テレビゲームでもそうだろう。出来た時はうれしい。だから面白い。数学も同じ。征服する醍醐味を味わえる。

『ドラゴン桜』2巻

だいたい……マイナスからマイナスを引いてプラスとか……真面目に考えてたら頭がおかしくなる。こんなもの論理的に理解しろというのは土台無理なのだ。だからもとから考えない!数学は頭でなく体に覚えさせるのだ…。数学とはある意味スポーツ!

『ドラゴン桜』2巻

こうして龍山高校東大クラスでは、何故か卓球のポーズを取りながら計算問題をこなすシュールな光景が出現し(図2)、それを見かけた教師・高原は「な……なにやってるんだ」と絶句した。

図2: 『ドラゴン桜』2巻

さて、数学とは、勉強とは遊びだろうか?私自身のモットーは「楽しくなければ学びじゃない」なので、これは「真実」と言いたいところだが、そう簡単に言い切れないのが難しい。

「遊び」とは達人の姿勢

結論から言うと「勉強とは遊びだ!」と言い切れるのは、勉強の達人の領域である。私自身、 未だに未熟なので「勉強は遊び」と心から断言できる高みには至ってない。何故なら世間が、社会が、人生という時間の止めどない流れが「勉強とは遊びだ!」という考えに水を差すからである。つまり入学試験は自分の都合に関係なく訪れてしまうし、その対策に迫られたとき、どうしても手っ取り早いのは「試験対策」と「詰め込み」になる。何故なら試験とは「真の実力を試すもの」ではなく、偏った能力を試す限定的なものにならざるを得ないからである。そうした中で、どうしても「つまらないこと」が生じてしまう。

逆に言うと、もしあなたが「勉強は遊びだ!」という領域に入門できたのなら、もはや敵はない。試験への合格など本当にただ単に時間の問題に過ぎないだろうし、十分な時間が与えられれば、圧倒的な成績を残すであろう。何故なら勉強が「遊び」と化したなら、吸収効率も持続時間も桁違いだからだ。

勉強は究極的には遊びになるし、それこそが勉強の理想形態である。しかしそれは達人レベルの話であって、ほとんどの生徒はどうしても無理して勉強する「岩の時代」を通過しなければならない。「勉強は遊びだ!」を、功利主義から東大クラスにやってきた水野らにいきなり求めるのは、言うなれば精神修行を始めたばかりの人に「無の境地に至れ」と助言するようなもので、無茶である。

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勉強の面白さを力説し、学びの意義を考え続ける受験コラム

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投稿日時: 2019/06/26 ― 最終更新: 2019/11/04
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