投稿日時:2018/10/08

太宰治の世界へ入門しようとして、最初期作品であるこの『葉』を読み始めると、躓きやすい。デビュー以前の習作の抜粋を切り貼りして断片的な詩のように仕上げている作品であるため、時系列も世界観も何もかもごちゃ混ぜである。『葉』は太宰の始まりにして非常にトリッキーな、前衛的な作品なので、最初は『八十八夜』のような中期以降の作品の方がずっと親しみやすい。

『葉』では太宰の思想や場面が走馬灯のように目まぐるしく、断片的に、浮かんでは沈む。小説に批判的な兄の言葉、左翼活動、「役者になりたい」「どうにか、なる」というつぶやき。「ほんとうに、言葉は短いほどよい。それだけで、信じさせることができるならば」などの、数々のアフォリズム。『太宰治大事典』では本作を「自己紹介」と解説している。『思い出』と併せて、本作は「太宰の文脈」を明らかにしている。

私は最初に読んだときには「よく分からない」という感想を抱いたが、太宰の作品を巡りながら時々帰ってくると、この世界観に浸れるようになってきた。

それにしても当時無名の作家が処女作の巻頭にこの話を置いたのだから、相当にアヴァンギャルドだと言わざるを得ない。太宰は後年に『晩年について』のエッセイの中で、『晩年』の中には「読んで面白い小説も二、三ある」と自虐的に紹介した。ここでの「小説の面白さ」とは、通俗的な面白さを指していると思われ、初期太宰の芸術志向の強さへの自己批判であると解釈できる。一方で「美しさは人に言われるのではなく、自分ひとりで発見するもの」とし、その話しぶりは「『晩年』は分かる人にしか分からない」と言いたげである。

こうした自己批判から『富嶽百景』以降の、教科書に載るような、すなわち万人に向けて開かれた太宰作品が次々に生み出されたのである。

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