『八十八夜』文学中年の糞リアリズム

初めて本作を読了した後に、思わず唸った。すごい。そして素晴らしい。『走れメロス』的な文体の疾走感と「おっさんの悲哀」が入り混じった、素晴らしいおっさん失踪伝である。

大衆に迎合した作家生活に疑問を感じ「思い切って、めちゃなことを、やってみたい」と汽車に飛び乗った主人公・笠井の、車中でのモノローグが実に「おっさん的」で笑いを誘う。付近の席で談笑している文学青年たちが「アンドレア・デル・サルト」という単語を発するのを聞いて、その名に聞き覚えがあるはずなのに、全然思い出せない。その人物について随筆すらしたためたはずなのに、思い出せないのである。

遠い。アンドレア・デル・サルトとは、再び相見ることはない。もう地平線の彼方に去っている。雲煙模糊である。

この、妙に文学めいた調子で卑小な事柄に延々と懊悩する、哀愁漂うモノローグに爆笑である。

笠井は、自分より若い文学青年たちの会話についていけない。知識量で彼らを上回って「いた」はずなのに、である。笠井は自らの力が、知識が、知らぬ間に脱落している事実に気づいて愕然とする。狼狽と虚勢が一体となって、笠井のモノローグは走る、走る。本作に筋らしい筋はほとんどない(オチはあるけど)。この笠井のモノローグの愛すべき哀愁を愉しむ小説である。

秀逸なのは、件の文学青年たちが駒が岳を八が岳と勘違いして、その偉容を讃えていることに対し、笠井が精神的リベンジを行うシーン。

ちえっ、ざまあ見ろ。(中略)駒が岳を見て、やあ八が岳だ、荘厳ねなんて言ってやがる。八が岳は、ね。もっと信濃へはいってから、この反対側のほうに見えるのです。笑われますよ。

この笠井のツッコミのリアリティ!(笑)

思うに20代前半くらいまでは、人はあまり旅先の地名とか山の固有名詞とかを覚えてないと思う。ほとんどの旅が初体験である。しかし年をとって何度も旅を重ねていると、関心が広がってくるし、車窓から見える風景に次第に馴染みが出てくる。山とか川の名前だとか、その歴史とかをも語れるようになる。言わば、この領域は年長者である笠井の独壇場である。だからつい、得意になってしまう。一つ解説でもしてやろうかという、いらぬ見栄まで張ろうとしてしまう。このあまりにもおっさん的リアリティに満ちた車中のシーンは、太宰の実際の体験をベースにしているに違いない。

汽車の中でのモノローグがひたすら面白いのだが、後半の宿へ泊まるシーンも秀逸。最後の二行が妙に清々しく、読後感は晴れやか。全体を通して常にユーモアにあふれていて、退屈なシーンなど少しもない、短編小説のお手本のような一品。太宰先生、お見事です。

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投稿日時: 2018/10/08
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