投稿日時:2018/10/04 ― 最終更新:2018/10/28

『懶惰の歌留多』のような一見、稿料泥棒スレスレの「惰文」で脱稿してしまうことこそ、太宰の真骨頂である。彼一流のエスプリとミスティフィカシオンが存分に発揮された怪作。

そもそもこの文章、出始めから「自分は怠惰である」「書けない」とボヤきながら、書けない理由をひたすら書くという、作家にとって禁断とも言える自己矛盾的な自虐のスタイルで始まる。「書けない作家ネタ」は『猿面冠者』以来だろうか。

すべて、のらくら者の言い抜けである。私は、実際、恥ずかしい。苦しさも、へったくれもない。なぜ、書かないのか。(中略)要するに、怠惰なのである。いつまでも、こんな工合いでは、私は、とうてい見込みのない人間である。

文豪が語彙の限りを尽くして「怠惰」「書けない」を言い換える。もうこれだけで、贅沢な『できない辞典』の完成である。『怠惰のレトリック一覧』という実用書である。もしあなたが何かへまをやらかしたり、期日に遅れる言い訳を書かねばならなくなったら、『懶惰の歌留多』を懐からサッと取り出し、したためてある言い訳をただ書き写せばよい。

文章の途中で、表題のカルタ形式による小話が始まる。書くことがないから「いろはにほへと」を頭文字にしながら、太宰が取り留めもない話や、ホラバナシを連々書くという、これまたどうしようもない「惰文」っぷりなのだが、そんな内容でも人を笑わせたり、読ませるところに太宰節の懐の深さがある。それが文才の為せる技なのである。

『懶惰の歌留多』は、太宰の実生活に密着した随筆であるという見解と、アンニュイな作家に「擬態」した前衛的な小説であるとの2つの見方が存在するが、私はいつも通り(?)その2つの折衷であると思う。この手の文章をエイッと世に放ってしまえるのは「俺が書けばどんな内容でも面白い」という自信の表れのように思われる。31歳の太宰の勢いが感じられる。なおカルタ形式での小説という構想はこれ以前からあったらしい。

まるで太宰が酒を飲みながら隣で語っているような、グダグダの、ヤマなしオチなしの文章なのだが、本当に酔っ払いながら書いてるんじゃないかと思わせるように、心の隙間をスッと見せる場面が、少なくとも4箇所ある。有り体に言えば、自殺の仄めかしである。

働かないものには、権利がない。人間失格、あたりまえのことである。

私は、長生きをしてみせるつもりである。やってみるつもりである。この覚悟も、このごろ、やっとついた。

けれども、某夜、君は不幸な男だね、と普通の音色で言って平気でいた人、佐藤春夫である。私は、ぱっと行くてがひらけた実感に打たれ、ほんとにそう思いますか、と問いただした。

きみと、しんじゅうするくらいに、きみを好いてくれるような、そんな、編集者でも出てこぬ限り、きみは、不幸な、作家だ、と一語ずつ区切ってはっきり言った。

どきりとしてしまう。

言うまでもない話だが、太宰は自身を投影した葉蔵を主人公とする『人間失格』を執筆後、愛人と入水自殺した。7年後の自殺に繋がるような表現が、短い本文の中にこんなにも盛り込まれている。太宰が本作のように、お道化て口多いときには、むしろ心中ではその絶望が深まっているのではないかと注意が必要なのかもしれない。

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