桜が散って、このように葉桜のころになれば、私は、きっとまた思い出します。

太宰治「葉桜と魔笛」

「きりぎりす」の「お別れ致します」に次ぐくらいの、印象的で鋭い出だしから始まる、太宰の代表的な短編の1つ。例えば文春文庫にも「人間失格」「桜桃」などに並び選出されているから、一般的な人気も高いのだろう。太宰研究的にも見るべき点が多く、丁寧に読みたい作品。それにしても太宰の女性独白体は、なぜこうも文が冴え渡っているのか……

この作品の重要テーマは、太宰文学の本質とも言える「虚構」そして「信仰」である。姉の出した手紙も「虚構」であれば、妹の手紙も「虚構」。それも妹自身を救うための。

姉さん、あの緑のリボンで結んであった手紙を見たのでしょう?あれは、ウソ。

太宰治「葉桜と魔笛」

この作品では虚構の上に虚構が重ねられ、最後の段階になってどこまでが真実か、その境界が曖昧になっていく。嘘から出た真。あるいは、嘘という嘘。そもそも妹の「告白」すら真実として受け止めていいのか分からない。この小説の中で最も真実について無知なのは語り手その人であり(妹や父親ならもっと確かなことを語れるだろう)、その最も騙されやすい人物が語っている曖昧な物語は、「信頼できない語り手」の類型と言えるだろう。

しかし真実がどうであれ、語り手は「信仰」という1つの巨大な虚構でそれらを覆い尽くし、全て神の奇跡と合一化することで心の平穏を得る。「虚構」は、周囲の全てが「虚構」である限り、その内部においては「真実」となり「救済」となる(例えば神がいない世界であっても、神がいると信じ切って死ねば幸福)。しかし年を経るにつれて信仰心の薄らぎから、語り手の中で合一化されていた虚構と現実がバラバラになり始め「父の仕業ではないか」と考え始めてしまう。

私は、そう信じて安心しておりたいのでございますけれども、どうも、年をとって来ると、物慾が起り、信仰も薄らいでまいって、いけないと存じます。

太宰治「葉桜と魔笛」

無駄のない簡潔なストーリー、読み手の想像を掻き立てる余白、そして「虚構」と「信仰」を巡る文学論。太宰の作家としてのエッセンスが詰まっている。「虚構」を巡る文学作品としては「道化の華」「ロマネスク」なども併せて読みたい。

【日本文学】カテゴリーの記事一覧

LINEで送る
Pocket

投稿日時: 2019/06/28 ― 最終更新: 2019/09/14
同じテーマの記事を探す