投稿日時:2019/06/28 ― 最終更新:2019/07/01

なんにも作品残さなかったけど、それでも水際立って一流の芸術家だったお兄さん。世界で一ばんの美貌を持っていたくせに、ちっとも女に好かれなかったお兄さん。

太宰治「兄たち」

太宰の女性独白体にハズレ無し。構成としては、ある女性が独白の形で自分の親族の生前について語るという「葉桜と魔笛」に酷似したものである。ただ、虚構と虚構が多層的に重なり合って、「虚構」と「小説内の現実」が曖昧になっていた 「葉桜と魔笛」 に比べると素直な回想録となっており、一遍の美しい小説として読める。鶴谷憲三はこの小説を「兄たちへの鎮魂」と評している。

「美しさ」はこの小説のキーワードとなるはずである。最初に発表されたときの原題が「美しい兄たち」であり、それは三男の表面的な「美貌」でもあるし、また運命に翻弄されながらも芸術的精神を持ち続けた、精神的な美しさでもあるだろう。兄たちと語り手が作り上げた一冊の同人誌、つまり芸術活動の思い出が、兄妹たちのかけがえのない記憶として回想されている。

三男は最も太宰の分身的な成分が強い。フランス精神にかぶれた兄は、死に瀕してなお道化と茶化しを止めない。「十二月八日」のページでも書いたが、太宰は(本来の意味での)ダンディズムに強く影響を受けた作家であり、彼自身が自殺の直前に「グッド・バイ」を「13回」で打ち切って「13日」に死ぬという茶化しを演じている。そう考えると、この太宰の分身としての兄の死に様は、将来の太宰の死の演出を予言していたことになる。

もう少し深読みしてみる。三男の散り際が、太宰にとっての理想的な芸術家の死に方の反映だとしたら、その思い出を美しいものとして語るこの小説は、そのような芸術家の在り方の自己肯定小説ということになる。そういったことから、この作品は太宰の人生観・芸術観・美意識が色濃く反映された作品であると思われる。

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