投稿日時:2018/12/28 ― 最終更新:2019/01/06
太宰治『女生徒』

きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。

太宰治『十二月八日』冒頭より

『新郎』に始まる真珠湾攻撃シリーズの1作とでも呼ぶべき作品で、日米開戦の日を主婦の視点から綴る女性一人称語りにして、題材とは裏腹に大変ユーモラスな作品。語り手は美和子夫人がモデルとなっており、作品世界全体が太宰の生活圏をモチーフとしている。アカデミズムの世界では本作を、太宰が開戦の機運に迎合したか反抗したかを読み取る試金石として論じるものが多いが、私は「迎合に擬態して茶化した作品」と読みたい。

そもそも出だしからして「百年後の皇紀二千七百年の読み方」について論じるなど、めちゃくちゃ脱線している(笑)。七百年を「しちひゃく」と読むか「ななひゃく」と読みかなど、どうでもいいことに拘泥した挙句、作家である夫は「ぬぬひゃく」という頓狂な読み方の出現すら提示する。日本国民が置かれた深刻な状況にまるでそぐわない主題が、さらに場違いなツッコミによって、てんでデタラメな方向へ転がっていく。

つまりここでは、シリアスな話題をとっとと忘れた挙句に、くだらない雑談に没頭することで、どうでもいいと言い放って見せているのである。真珠湾攻撃など、どうでもいい。俺にはへっちゃらだ。それよりこの前、面白い話があってね……。もしこの日記が建前通り、日本国の画期となる事件についての歴史的資料となることを期しているなら、当然その大事件から書くべきであろう。大震災の日の日記をスーパーの特売の話から書き始めるやつがあるか。ところがこの書き手の「主婦」の頭の中では、年号についての話題を書いたところですぐ別の話題に転じて脱線を始めてしまうほど、真珠湾攻撃が念頭にないのである。「ぬぬひゃくねん」に気が向いてしまうのである。

混迷の最中に、何食わぬ顔で悠々昼寝してみるような不敵ぶり。目前に迫る恐怖を矮小化し、滑稽化して寄せ付けないユーモア。これはボードレールから受け継いだ太宰のダンディズムに他ならない。英国発祥のダンディとは、日本のそれとは意味合いが異なり、以下の言葉に表されるような颯爽とした態度を旨とする。

人を驚かすことの快楽、決して驚かされることはないという傲慢な満足。

ボードレール『現代生活の画家』

(ダンディの生活とは)たえず英雄的であり、世間の欺瞞に満ちた姿に眼を惑わされることなく、冷静な無頓着をわがものとして、その仮面を被ることである。

矢野文夫・長谷川政一『ボオドレエル研究』

ダンディズムを標榜する者は、うろたえてはならない。どんな大事件が起ころうとも、義勇性を鼓舞されようとも「ふーん、大変だね」でスルーして見せるのである。大戦勃発時の井伏鱒二への手紙の中で、太宰は「孤高でありたい」と述べたという。『十二月八日』は、大戦勃発による同調圧力を跳ね返す、太宰の芸術的な反逆に違いない。ラストの「僕には、信仰があるから、夜道もなお白昼の如しだね」の台詞は、開戦に動じない太宰のメタファーとも解釈でき、作家の超然とした態度を示している。まあ『新郎』 では大いに取り乱していたわけだが、気を持ち直したのだろう。

それにしてもこの、戦争の話を始めようとするたびに滑稽な方向へ脱線してしまうユーモアのリズムは絶妙である。真珠湾攻撃の報を聞いて緊張が走ったと思ったら「西太平洋って、どの辺だね?サンフランシスコかね?」とボケて夫人がズッコけ、国営放送は軍歌を流し過ぎ愛国賛歌のネタが尽きたので、仕方なく骨董品のような古歌まで持ち出してラジオに無理やり帝国万歳を絶唱させる。シリアスへの流れを、登場人物たちの空転がその都度打ち消し、真面目からボケへの落差によりユーモアが水力発電されている。

書き手の夫人は表面上、戦争への迎合を示すことで(戦時下である現実世界における)思想弾圧を避ける盾として機能しているフシがあるが、彼女の言動もどこか道化じみていて額面通りには受け取れない。取り分け「英米鬼畜」に対しての夫人の以下の独白は傑作と言えよう。

此の神聖な土を、一歩でも踏んだら、お前たちの足が腐るでしょう。お前たちには、その資格がないのです。日本の綺麗な兵隊さん、どうか、彼等を滅っちゃくちゃに、やっつけて下さい。

太宰の思想性や作品における描写から言って、このような神国論や選民思想を本気で述べているとは思えない。この描写は諧謔的である。しかし上記のような思想を本気で持っている人間は、ここに大日本帝国への万歳を唱える太宰の幻を見てとるだろうし、当局にはこの描写で、非厳粛化への言い訳は立つであろう。そういう意味で巧妙な描写でもある。

『十二月八日』は純然たるユーモア小説としても、時流を上手く茶化していて良く出来た作品であるが、戦中という思想暴力的な空気が支配する時代における文学の振る舞いを研究する上でも価値の高い作品と言えよう。本作は数あるユーモア短編の中でも、取り分け重要な位置を占める。

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