三島由紀夫はなぜ太宰治を嫌ったのか「生理的反発を感じる」

2021/08/28 ・ 日本文学 ・ By 秋山俊

三島由紀夫が「太宰治嫌い」なのは有名だ。特に世に知れ渡っているエピソードは、三島が矢代静一に連れられて「太宰治を囲む会」に顔を出したときの話である。

三島由紀夫は、あろうことか当時の時の人であり、場の主役であった太宰治の正面に立って、いきなり 「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」 と言い放った。このことは一緒にいた矢代の証言もあり、まず確かである。それに対する太宰の反応は、三島の『私の遍歴時代』によれば、「氏はふっと私の顔を見つめ」、「虚をつかれたような表情をした」ものの、次のようにおどけてかわしてしまったという。

「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」

三島由紀夫『私の遍歴時代』

三島由紀夫と太宰治という、二人の文豪のやり取りはこれだけで終わり、その後二人が再会することはなかった。太宰が自殺してしまったのだ。

太宰治

三島由紀夫が太宰治を嫌う理由

3つの理由

三島が太宰および太宰文学を嫌う理由としては、三島自身が以下を挙げている(『私の遍歴時代』)。

  1. 作品中での自己戯画化
  2. 作品の裏にちらつく文壇意識
  3. 上京青年の田舎臭い野心

これだけではよく分からないが、「1」については、『小説家の休暇』内でより詳しく述べられている。

私とて、作家にとっては、弱点だけが最大の強味となることぐらい知っている。しかし弱点をそのまま強味へもってゆこうとする操作は、私には自己欺瞞に思われる。どうにもならない自分を信じるということは、あらゆる点で、人間として僭越なことだ。ましてそれを人に押しつけるにいたっては!

三島由紀夫『小説家の休暇』

弱々しい自己欺瞞が我慢ならない

この文を噛み砕きつつ解釈してみよう。

三島は、太宰が作中でよくやるような「私はやはりダメ人間なのである!アハハ……ハハ…」というような自己戯画化、自分のダメさをダメさのまま芸術に昇華するようなやり方を「自己欺瞞」と否定している。

人間は、誰しも弱みを持っている。まして小説を書くことに没頭するような人間は、人一倍コンプレックスが強いからこそ、それをバネにして創造の力と化すことができる。さらに自分固有のコンプレックスをモチーフにすることで、他人とは違う世界を描ける、つまり「弱点だけが最大の強味となる」のである。

だからこそ三島は、『仮面の告白』のように、自らの過去を「死刑囚にして死刑執行人」の気持ちで容赦なくズタズタに解剖し、それを曝け出した上で乗り越えようとしたり、あるいは現実世界においては、青白い文学青年であった自分の肉体的コンプレックスを克服すべくボディビルに励んだ。

つまり三島由紀夫は、人間は「どうにもならない自分」を認めた上で、それを克服し、乗り越える中で、逆に弱点を武器として転用していくべきだ、という上昇の信念を持っている。それに対し、太宰治はそういう自己超克を行わずに、弱さに溺れ、むしろ弱さを見せびらかすことで共感を呼び起こす。心の中では弱さが嫌だと思っているのに、弱さの克服を放棄して、「弱点をそのまま強味にもってゆく」ことで、堕落した武器にしてしまう。それが「自己欺瞞」なのである。

『小説家の休暇』内での以下の苛烈な太宰批判は、三島のそうした考えによるものだ。

太宰のもっていた性格的欠点は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治されるはずだった。[…] 治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。

『小説家の休暇』

文学でも、強い文体は弱い文体よりも美しい。一体動物の世界で、弱いライオンのほうが強いライオンよりも美しく見えるなどということがあるだろうか。[…] 太宰の文学に接するたびに、その不具者のような弱々しい文体に接するたびに、私の感じるのは、強大な世俗的徳目に対してすぐ受難の表情をうかべてみせたこの男の狡猾さである。

『小説家の休暇』
トレーニングに励む三島由紀夫
「太宰のもっていた性格的欠点は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治されるはずだった。」

三島由紀夫の異常な太宰嫌悪

太宰を殴るチャンスは見逃さない三島

三島由紀夫が太宰治の文学を否定する理由は分かったが、もう1つ疑問がある。それは「なぜ三島由紀夫は事あるごとに太宰治を否定し、しかも苛烈に執拗にこき下ろすのか?」ということである。つまり三島が太宰を過剰に攻撃している態度である。

たとえば以下の太宰治批判(ほとんどただの罵倒)は有名。

私が太宰治の文学に対して抱いている嫌悪は、一種猛烈なものだ。第一私はこの人の顔がきらいだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらいだ。第三にこの人が自分に適さない役を演じたのがきらいだ。女と心中したりする小説家は、もう少し厳粛な風貌をしていなければならない

三島由紀夫「小説家の休暇」

最初に読んだとき、「第一私はこの人の顔がきらいだ」という、身も蓋もない全否定ぶりに笑ってしまった。ほとんど「あんたの存在そのものが気に食わないんだよ」である。

また彼の評論を読んでいくと、太宰の名前がたびたび出てくる。しかもほぼ毎回否定的な意味でだ。彼は前時代の文豪の中では、夏目漱石や芥川龍之介にはほとんど言及していない。三島が頻繁に名前を出す戦前の作家は森鴎外と太宰治で、鴎外に関しては戦後に三島由紀夫が目指した理想の文体として、いくども引用し賛美している。

一方、太宰に関しては、柔弱について語るときなどに、「これに関しては太宰なんて人もいたが……」みたいなダメな例として引っ張ってきている。太宰をケナすチャンスは見逃さないファナティックな三島だ。

たとえば「心中論」の中なんかでも

しかし、何と言っても若い人同士の心中はいいもので、太宰治などの中年者の心中の不潔さはない。

三島由紀夫「心中論」

などと述べている。「何と言っても若い人同士の心中はいいもので」という、妙に爽やかな心中賛美もなんだかシュールだが、「チャンスがあれば太宰治を殴る」という芸風も、評論集を通読しているとジワジワくるものがある。

三島の太宰への執着は異常

しかし三島由紀夫という人物が、これほどまでに特定の人物への批判をずっと続けていることには、一種の異様さがある。そんな相手は太宰治だけである。三島は基本的に、他人を名指しで直に否定することを好まない。この点で、まるで呼吸するように志賀直哉や永井荷風を批判した坂口安吾なんかとは異なる。

そもそも最初の「太宰さんの文学は嫌いなんです」発言にしても、なぜ「太宰治を囲む会」に出向いてまで、本人の目の前で、直に、攻撃的で否定的な発言を浴びせなければならないのか。

それは三島由紀夫が太宰治を「宿敵太宰治」と呼んだことの中に顕れている。

なぜ「宿敵太宰治」なのか

酷似している二人の運命

これまでの引用部分でも、うっすら明らかになっていたように、実は三島由紀夫と太宰治は創作の源泉が同一である。それは世の中や人生に対する諦観であり、また己の弱さに対するコンプレックスであり、それと同時に持っているナルシシズムだ。

『詩を書く少年』であった三島が「自分のことを天才と確信していた」り、それで「詩人は早く死ななければならない」と、ほとんど妄執のような夭折願望を抱いていたことは、太宰治が最初の『葉』で「選ばれてあることの 恍惚と不安と 二つ我にあり」というヴェルレーヌの言葉を引いていることと軌を一にする。

実際、この二人は作家としての運命が似ていて、三島由紀夫が『仮面の告白』で自画像を書いたのに対して、太宰は『人間失格』を著し、二人とも最終的に自殺している。「心中論」の中で「太宰治などの中年者の心中の不潔さはない」と批判していたにも関わらず、三島自身も45歳で、楯の会の若い男と共に心中してしまった。

自殺の仕方に関しても、ただの自殺ではなく、確信的な演出を伴った、ナルシスティックな劇場型の自殺であった点が同一だ。

太宰治が死の直前に『人間失格』『グッドバイ』などを用意し、6月13日に、「『グッドバイ』第13回目」までの原稿を残して死ぬという、キリスト教圏の忌み数を並べた「天才の自殺」の演出をしている。

太宰治の自殺を報じる新聞

三島由紀夫の死に関しても、彼の思想を追った人には分かるように、ラディゲにかぶれた十代の頃からまず、「天才は美しく夭折しなければならない」、という妄執が彼の中にあり、右翼という立場や天皇論などは、彼の自殺に華々しい大義を添えるための舞台装置として利用されていた。

自衛隊にクーデターを呼びかける三島由紀夫
「おまえら聞けぇ、聞け!静かにせい。静聴せい!話を聞け!男一匹が、命を懸けて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。」

太宰は三島の嫌な部分を暴露してしまう

このように、創作の源泉に似たような破滅的メンタリティと、同じくらいの自己陶酔を抱えた二人は、しかしこの文章の前半で見たように、それの作品への昇華のさせ方が正反対である。このため二人の作品は、一見、全然違うものに見える。しかし三島は同類特有の嗅覚によって、太宰文学の根底が自分のそれに類似していることが分かってしまうのである。

これについて、三島も当然自覚的であった。そのため太宰が憎いのは「愛憎の法則によって、氏は私のもっとも隠したがっていた部分を故意に露出する型の作家であったためかもしれない」と告白している。

もちろん私は氏の稀有の才能は認めるが、最初からこれほど私に生理的反発を感じさせた作家もめずらしいのは、あるいは愛憎の法則によって、氏は私のもっとも隠したがっていた部分を故意に露出する型の作家であったためかもしれない。従って、多くの文学青年が氏の文学の中に、自分の肖像画を発見して喜ぶ同じ地点で、私はあわてて顔をそむけたのかもしれないのである。

『私の遍歴時代』

近い者ほど憎い

ここまで来ると、太宰の放った「こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな」という言葉が不気味に響いてくる。おそらくそれは人間通の太宰がとっさに捻り出した、半ば当てずっぽうの切り返しであったに違いないが、図らずも、三島の憎悪の核心をかすめている。

三島の言う「愛憎の法則によって」、つまり「近いものほど憎み合う」のように、三島は太宰の中に己を見出してしまう。太宰と三島の文学の根底にあるものは同じものだ。イヤなのだ、三島は。太宰の中に、自分の醜いニヒリズムやナルシシズムを見てしまうのが。

そして三島はその根底にある暗闇を必死に克服し、「美」に昇華しようとしている。にも関わらず、太宰はその暗闇をそのまま曝け出し、「こんなにダメな私」という道化を演じることで文学にしている。その太宰の文学を読む三島は、まるで己の超克への取り組みを「なに、頑張っちゃってるの?」「弱さをそのまま出せばいいのさ」と言うかのごとき、自分と同じ顔をした男のグニャグニャした薄ら笑いを行間に見い出して、「最初からこれほど私に生理的反発を感じさせた」のは太宰くらいだと述べたのだろう。

「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」

ここで再び冒頭の「太宰治を囲む会」事件に戻ろう。

今でこそ「文壇の珍エピソード」みたいに聞こえるが、当時の三島は文壇の新人で、その彼が人気絶頂にあった太宰をわざわざ訪ねて、面と向かって全否定するというのは常軌を逸している。三島の温厚で礼儀正しい人格を加味すれば、なおのこと異常である。ついでに言えば、三島にとって太宰は文壇の大先輩であるだけでなく、同じ大学の先輩ですらある。

『三島由紀夫全集30』「私の遍歴時代」

しかも三島は会話の勢いで言ったわけではない。むしろ、本当は用もないのに、「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」という一言を言うためだけに、曰く「テロリスト的心境」で臨んだというのだ。

大げさに言えば、懐ろに匕首を呑んで出かけるテロリスト的心境であった。[…]

私は来る道々、どうしてもそれだけは口に出して言おうと心に決めていた一言を、いつ言ってしまおうかと隙を窺っていた。それを言わなければ、自分がここに来た意味もなく、自分の文学上の生き方も、これを限りに見失われるにちがいない。

『私の遍歴時代』

このあまりに大げさに聞こえる三島の決意は、しかしこれまでの考察を適用すれば、十分に納得できるものである。

三島由紀夫は、太宰治の文学を許すわけにはいかなかった。それもただ知らんぷりをして済むものではなく、名指しで批判して、その存在を否定しなければならなかった。嫌うだけではなく、戦いを挑まねばならなかった。なぜなら太宰的な文学の在り方・方向性は、三島的なそれを無力化するものであり、太宰文学が認められるほどに、三島文学ひいては三島の生き方そのものが、間接的に否定される危機に陥るからである。太宰を否定するのは三島の衛生学だ。

それはたとえば、「宿敵太宰治」の影響を受けた防大出の学生との、以下の会話にも表れている。

あの理工科専門と思われる大学にも、宿敵太宰治は影響を及ぼしていた。私が、「太宰は人間の弱さばかりを強調したからきらいだ」というと、彼は、「しかし、やたらに強さを売り物にするよりも、弱さを強調するほうが本当の文学者らしいのではないでしょうか」などと、耳の痛いことをいうのであった。

三島由紀夫「自衛隊を体験する――46日間のひそかな“入隊”」

三島由紀夫にとって、太宰治は好悪という次元にいたのではない。打ち倒さねばならない宿敵だったのである。しかしその三島が、最終的には太宰を反復する運命を辿ってしまったのは皮肉であり、同時に予言されていた必然とも言えるだろう。

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「おれはね、このごろは人が家具を買いに行くというその話をきいても、吐気がするのだ」

家庭の幸福は人類の敵。――それじゃ、太宰治と同じじゃないか、と僕は言った。「そうだよ。おれは太宰と同じなんだ。」

三島由紀夫の、自決する直前の発言
村松剛「追悼」

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初版:2021/08/28 ―― 改訂: 2021/08/30

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