三島由紀夫 30代のときの「死ぬことへの諦め」

2021/08/01 ・ 日本文学 ・ By 秋山俊

どうして死が、急に私の脳裏から遠ざかってしまったのであろうか。

三島由紀夫「小説家の休暇」

三島由紀夫の希死念慮の強さは年齢によって異なるように思われる。彼の死の願望がとりわけ遠のいていたのが、30代のときだ。この時期の三島由紀夫は「生きたい」というよりは「死ぬ時期を完全に逃してしまった」という、かなり消極的な理由から、生きることをしぶしぶ了承するような言動を繰り返している。

人間、四十歳になれば、もう美しく死ぬ夢は絶望的で、どんな死に方をしたって醜悪なだけである。それなら、もう、しゃにむに生きるほかはない。

三島由紀夫「「純文学とは?」その他」

(天才は恩寵によって夭折するという信仰がかつてはあったが、)しかし今では、恩寵も奇跡も一切信じなくなったので死の観念が私から遠のいた。いよいよ生きなければならぬと決心したときの私の絶望と幻滅は、二十四歳の青年の、誰もが味わうようなものであった。

三島由紀夫「小説家の休暇」

三島由紀夫の30代は、『金閣寺』を「生きようと思った」で締めくくっているように、他の時期に比べると「生きる」という態度が多く見られ、死の願望を「青年期の虚栄心の残像」と言い表す。

[…] 私には、死について考えることに対する、いわれのない軽蔑が生じた。世間の俗人のように、いつか多忙と生とを混同しながら、一方、私の死の欲求には、ますます現実離れのした、子供らしい夢想がからまるにまかせた。[…] そうして私は死の哲学的思考から、すっかり身を引き離してしまった。

三島由紀夫 「小説家の休暇」

ただしそれは、あくまで「30代で今更死んでも醜いだけ」「死ぬための大義がない」という諦めからであり、極めて気乗り薄な「生きる」である。『金閣寺』を頂点に、作家になるという夢も成し遂げてしまった三島由紀夫にとって、果たせなかった夢として、あくまで「英雄な死」という願望は残り続ける。

今でも私は、暇な折には、望ましい死について考えることがある。それが私には、望ましい生活について考えるのと同じことなのだ。[…] 少年時代には私も自分の英雄的な死を夢みたこともあった!

三島由紀夫 「小説家の休暇」

『ヒタメン』によれば、三島は昔から周囲の近しい人に「45歳までに死ぬんだ」と口癖のように言い残していたという。30代のこの時期も、「やはり死ぬかも」という言説は度々顔を覗かせる。だが実行に移す契機もなく、「余生」としての作家人生を「多忙と生とを混同しながら」生きることになる。

しかし三島由紀夫の人生を変える、後の「楯の会」メンバーとの接触の時も、刻一刻と迫っていた。

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初版:2021/08/01 ―― 改訂: 2021/08/28

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