三島由紀夫の名言2 「私の文章が来年滅びるとしても…」

2021/08/22 ・ 日本文学 ・ By 秋山俊

私の文章が来年滅びるとしても、少なくとも十年先を考えなければ文章を書く楽しみがありません。

三島由紀夫『文章読本』

文章を書くことについて語った、有名な『文章読本』の後半に出てくる言葉。作家は少なくとも10年先まで文章を残す気概で書かなければ虚しいだろう、という意味。

文章に限らず、これは文化に携わる人間が抱く共通感覚だろう。文化の仕事は刹那的な取引ではない。株ではない。文化的な物事というのは蓄積を前提にしている。仮に自分の仕事が大した業績を残せなくとも、少なくとも礎として残ると信じるからこそ、儲からなくても文化に関わるのだという人もいるだろう。

人間にとって、「現実に自分の仕事が将来どうなるか」と「どうなると信じて仕事をするか」の間には、基本的に溝がある。究極的には全ては無に帰す。そこまで考えなくとも、今後も数千数万年と歴史が続くならば、小説という文化は古代の一風習として、アーカイヴの片隅に記録される存在でしかないだろう。

しかし人間は、常にそこまで巨視的な立場から見通せる存在ではない。今まさに仕事を成している時点では「どうなると信じているか」こそが重要。

私は「明日世界が滅びるとしても、りんごの木を植えよう」という言葉は、詩としては美しいが、現実の人間の生き方には即していないと思う。明日世界が滅びるなら、人間は、りんごの木は植えない。来年が、十年が、子供たちがあると信じているからこそ植えるのだ。(トップ画像:三島由紀夫『文章読本』(『三島由紀夫全集 28 評論4』))

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初版:2021/08/22 ―― 改訂: 2021/08/24

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