藤森安和『15才の異常者』 / ある日、救急車に乗って病院へ行った…

2021/01/20 ・ 日本文学 ・ By 秋山俊

ある日、救急車に乗って病院へ行った。

労働争議でもめるビルの屋上から
飛込み自殺した男の死体が
めそめそ泣いた。
変だと思いさわったら
「ばか野郎!」と死体がどなった。
慌てて院長さんに
「あの人まだ生きている。」というと
「あのひとは寝ておるのだ。おとなしく向こうへ
行っていなさい。いい子だから。」
ばかにしていやがる。いい子だからとはなんだ。
あつ。そうだ。
ここは精神病院だった。
院長さんの話だと
僕は精神異常だそうだ。

藤森安和『15才の異常者』

この詩は「とおくから救急車のサイレンが迫る。」という一文で締めくくられる。

恐らく彼の最大の紹介者である寺山修司は、『戦後詩』(’65)にて彼の詩を「公衆便所の落書を思想にまで高めようとする悲しい企み」と言い表し、活字でありながら、あたかも詩人がそこで語っているかのような生々しさを感じさせる「『直接の詩』に近い」と評している。

藤森安和という詩人については、よくわからない。最初の詩集を出してそれっきりだ。音沙汰が無いため、生きているかどうかすら不明。彼は1940年生まれである。『悲しき口笛 自伝的エッセイ』内の寺山の文章には、詩集を出した直後の藤森安和の様子が描かれているが、それを読んでも、まるで昭和の闇に蠢くパンク男のような人物で、全くとらえどころがない。

『十五歳の異常者』という詩集を出したばかりの藤森安和が訪ねてきた。

彼は、静岡で畳屋をやりながら詩を書いていた。

「いい家ですね」と言いながら、応接間へあがりこんだ彼は、進歩的文学者に内在している小市民性についての悪口を言いながら、ポケットからチリ紙をとり出して、洟をかみ、それを絨毯の上へ捨てた。

彼の煙草の灰は、灰皿ではなくテーブルの上にじかにこぼれていた。そして、私はそれを、はらはらしながら見ていた。

彼が帰ったあと、応接間に散らばった吸殻、灰、洟紙を見ながら、私はふいに気づいた。

これはたぶん彼が意識的にしたことなのだ。かつてともに、あらゆる既存の価値に反抗し、「墓にツバをかけて」きた私が、いつのまにか家を構え、庭に花を植え、マイホームのなかへ退行しているという現実を、彼はことば以外のもので批評して帰ったのだろう。そう思うと、私はいたたまれない気分になった。

寺山修司『悲しき口笛 自伝的エッセイ』

「15才の異常者」は、真っ黒い空洞とでも言うべき詩だが、彼の詩を引用した別の書物が、大江健三郎の『政治少年死す』だというのも、なんだか呪術めいている。『政治少年死す』は『セヴンティーン』の続編として書かれた中編小説だが、「関係団体」から抗議を受けて半世紀以上も封印状態となり、『スキャンダル大戦争2』に無断転載されたものを除き、長らく読むことができなかった曰く付きの作品である(最近ようやく『大江健三郎 全小説 3』に掲載された)。(ヘッダー画像:藤森安和『15才の異常者』 )

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初版:2021/01/20 ―― 改訂: 2021/08/24

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