他人の幸・不幸

2020/07/15 ・ 雑記 ・ By 秋山俊
Balcomb Greene, “Bois de Vincennes” (1964)

「あの人はこれだけ成功したんだから、さぞ幸福な人生だっただろうね」というようなことを、当たり前のように言ってしまう人がいる。

しかし他人の人生のほとんど全ては霧に覆われて見えないし、また人というのは、公の場では努めて不幸を語りたがらないものだから、その人の人生がトータルでどのようであるかは、とても知れたものではないし、推測することすら虚しいものだと思う。

何不自由なく、社会的成功を我が物にして生きているような人が、毎日虚無感と不安感に襲われて生きているかもしれないし、日々慌ただしく働きまわる人が、存外、忙しさに埋没して、特別な気苦労もなく中庸な至福に生きているのかもしれない。

他人の状況をあっさり判定してしまうような言動を“軽口”と呼ぶ。

愚痴や嫉妬で、つい口に出てしまうことはあるかもしれない。10代で気づかないのは仕方ない。20代でもまだ分かる。しかし30を過ぎても、何の疑問もなく軽口を叩いてしまうのは、ちょっと想像力が貧しいのではないかと思う。

もちろん経済的に豊かな層は、そうでない層より平均的な人生の満足度は高いかもしれないとは思うが、最近はそれも少し怪しいのではないかと考えたりもする。

人間の脳に備わった“慣れ”というシステムは、恐ろしく、同時に良く出来ている。不平等なこの世界で、最も公平な裁判官だと思う。慈悲の神が存在するなら、その名前は“慣れ”と“忘却”かもしれない。

あくびをしている猫を見ると、たまに妙なことを考える。

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投稿: 2020/07/15
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