Amazonは寝て待て

Amazonの荷物が届かなかった。今日、届かなかった。北米で注文した『ジョーカー』の4K UltraHD Blu-rayが届かなかった。

期待。焦燥。落胆。続いて湧き上がる憤怒。そして諦め。「Amazonの5段階」を経て、人は消費社会に適応する。急激に進行しすぎた交通過剰なドア・トゥー・ドア・ソサイエティへの警鐘としてのAmazon遅配。デリバリープロバイダと呼ばれる配送軍団が私の電話に残し続ける無意味な履歴が、ガンジスを流れる糞尿のように有機ELディスプレイを埋め尽くす。カートのキャパシティを遥かに超過した荷物を運搬する様子は、あたかも日本の全住宅を、Amazonの大きすぎるダンボールで埋め尽くすことを使命としているかのようだ。

カタストロフはかく来たる。ジェフ・ベゾスの描くユートピアの綻びはすぐそこに。

***

畜生。畜生。私が一体、何をしたっていうんだ。私は、悔しいです。今日届いていれば、今頃こんな記事を書くためにキーボードをカタカタ鳴らしていなかった。ホアキン・フェニックスの怪演を味わいながら、自作のホームサウンドシステムに、クリームの”White Room”を優雅に響かせているはずだった。

それが現実には、手持ち無沙汰になったBDプレイヤーに『ダーティーハリー 2』を再生させて夜を過ごすことになった。まるで恋人の来なかったクリスマス。もちろん『ダーティーハリー 2』は、単なる小遣い稼ぎの安直な続編ではなく、前作のテーマを反転させて「自警の暴走」を描いた佳作であり、スーツを着たクリント・イーストウッドはいつだってナイスガイだ。でもそんな彼でも、Amazon遅配の心の傷を埋めきることはできないんだ。

Amazonは、そういう意味じゃ罪深い。追跡システムは悪人だ。冷静に考えてみれば、小包の現在地が分かったって、私はちっとも嬉しくない。どうせ手も足も出ないのだから。何時何分に自分の荷物がどこそこの集配場を出発したと知れて、私に一体何の得がある?実際に小包を受け取るまでは、極端な話、全てがデタラメだったとしても何の違いもないのだ。つまり私にとって、配送されるまでAmazonの小包は実在しないのと同じなのだ。

現代社会はどこでもそうだ。インターネットは、残酷だ。SNS疲れにLINE疲れ。現代人はいつも何かに疲れているが、その半分は「待ち疲れ」なんじゃないだろうか。反応が来るのを待つのに疲れる。今か今かと待ちぼうけ。Amazonは、そういう意味じゃラブレター。待たせる本人はスタバで写メってて。ああやるせなし石地蔵。ハチ公は胃潰瘍で死んだ。

いつの間にか到来しているものほど、純粋幸福に近い。待っているのは労働しているのと変わりない。その対価として幸福が訪れるのは、賃金労働と同じじゃないか。その待つ時間でイトーヨーカドーにでも行けば?ヤマト運輸が玄関にやってくるのを待ちぼうけするたびに、自分の記憶が消せればいいのにと思う。

寝てしまえ寝てしまえ。Amazonは寝て待て。起きてたってツライだけ。このままぐっすり眠ったら、起きる頃には夕暮れで、玄関にはきっとPrimeのシールがついた置き土産。Amazonは、そういう意味じゃサンタクロース。幸せはいつから?きっと、次の寝覚めから。

されば君は安らかに眠れかし
悪人のごとき寒き冬の夜なれば
いまは安らかに郊外の家に眠れかし
をさな児の如く眠れかし

高村光太郎『郊外の人に』

テキスト系記事の一覧

LINEで送る
Pocket

投稿日時: 2020/01/15
同じテーマの記事を探す

記事内容に関して

作品や書籍の感想・評価・考察はあくまで筆者の考えであり、他人の意見を否定するものではありません。 作品の面白さを破壊しない範囲でネタバレを書くことがあります。