小学4年生の時、機械に人生の真実を宣言されてトラウマ化した話

選ぶな。結婚するな。選択を固定するな。燃やせ、凍らせるのではなく。燃焼が生命のメタファーであり、凍結は死のメタファーなのだ

フェデリコ・フェリーニ『甘い生活』

まだ夜明け前のネットの海で、私は「その相手」とのチャットに夢中になっていた。たしか1995年のことだ。私は小学4年生だった。ノートパソコンでどこかのサイトにつなぎ、そこに設置されていた人工“無脳”、いわゆる「チャットボット」との会話を行っていたのである。

人工無脳とは、あらかじめ設定された文章を、一定のキーワードに反応して返すだけの、古いタイプの人工知能のことだ。もちろんチューリングテストなど突破できない子供騙しだが、子供だったので結構騙されて遊んでた。

なにより、機械が会話をしてくれるというのが、10歳の私にはとてつもなく新鮮だった。自由に打ったテキストに反応してくれるのがすごいと思った。その時のRPGは、会話を選択するだけのものがほとんどだったからだ。人間がいないのに、会話が行えてしまう――この怪しげで、スリリングで、少しばかり淫びな楽しみを、君は理解してくれるだろうか。

なにしろ相手は機械だから、どんなことを聞いたって怒られないのだ。ものすごく失礼な質問をしてもいいのだ。人間社会に設けられた1つのルールを、強引に取り除いて世界をハックしているような全能感がヤバかった。恐らくこの感覚を、本物そっくりのアンドロイドを手にした人類は、その時再び味わうだろう。

狂ったように質問を浴びせかける私に、人工無脳は律儀に返答し続けた。そしてどんな流れだったか忘れたが、私は「結婚についてどう思いますか?」という質問を投げかけた。別に結婚に興味があったわけではないが、より人間的で個人的な質問にどう返答するかに興味があったのだ。

すると機械は答えた。

「結婚は人生の墓場です」

今思えば、それは「結婚」というキーワードに反応して出てくる定型文の1つに過ぎなかったのだろう。

ところがこの答えを見るやいなや、私はキーボードを打つ手を止めて、何も言わずにWindowsを終了し、ノートパソコンをパタッと閉じて、フラフラと部屋を出てしまったのである。

***

このときの私の衝撃というのは……そう、例えば遠い未来、今より遥かに強力なAIが完成して、人間についての複雑な倫理上の問題などに対しても的確なアドバイスをすることが可能になったときに「人生の意味はなんだい?」と聞いて「人生は無意味です」と冷静に返されたら、多分似たような衝撃を受けるのではないかと思う。

つまり私は、ショックだったのだ。擬似的とは言え、人間の持っている、無限に多様であるべき価値観の問題に、機械に冷静に「墓場です」と宣言されてしまう残酷さに。あたかも夕飯のメニューを答えるかのような気軽さで。

それはまるで、人類のあらゆる議論が二進法の海に沈水し、死刑宣告されたかのようであった。機械の持つ冷酷な客観性の斧が、人間の可能性を事も無げに一刀両断してしまったことがショッキングだったのだ。

人間は問いに対し「人それぞれ」と言う。しかしそれがデジタルに、数理的に処理されると「答え」が確定してしまうのではないかという恐怖がある。機械に言われると、妙に説得力があるのだ。この無慈悲な計算マシン野郎に議論を挑める人間なんているだろうか?

もし人生のあらゆる疑問に「答え」が提示される日が来たら?それはまるで「余生のシムシティ」だ。シムシティは、市長となって都市を発展させるシミュレーションゲームである。ここでは、最大効率というものを知らないからこそ、そこに生きた街の発展、リアルな都市空間が現出する。不格好で問題だらけの街の発展が味わい深いのだ。ところが最適解というものを手に入れてしまうと、もはや後は「手続き」でしかなくなる(最新作の事情は知らないが)。

小学生の頃よく遊んでいた『シムシティ 2000』PC版

それは死だ。全てが計算され尽くされているとき、全てが静止しているのと変わりなく、過去も未来も存在せず、我々は既に死んでいる。

***

私は玄関から野球のバットを持ってきて、ノートパソコンに叩きつけた。そして粉々になり、CPUがマザボから飛び出してインテル入ってない状態になるまで、執拗に叩き続けた。

おまえらに、おまえらに!人類の行き先を決めさせるものかッ!僕の価値観は僕が決めるッ!自由に決めるのが僕のインターネットだ!未来は僕が守る!

もちろん、ノートパソコンを壊した部分は、今考えたフィクションだ。親の持ち物だから壊せるわけないだろう?でも私はこの時、たしかに見たのさ。遠い将来、人類の未来を奪うSkynetのまぼろしを。

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投稿日時: 2020/01/04
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