
仏文クラスには“和尚”がいた。もちろん、和尚というのは私が勝手につけたニックネームで、本名は別にある。和尚は一徹の坊主頭であった。
和尚は、フランス語が達者であった。彼は読経するかのごとく流暢にフランス語を読み、彼の読む『ボヴァリー夫人』など、言語を解さずとも、それだけでこれは美文に違いないと感じ入ってしまうほどであった。私は内心、和尚の優れた語学力に感心していた。
私は、和尚と会話したことは一度もない。これからも会話せずに卒業の日を迎えるであろう。
彼を初めて見たのは1年半前のことである。それから私は彼のことを和尚と認識していた。夏が過ぎた後、和尚の顔つきがかなり変わっていた。
まあ、変わっていたと言っても、元々授業でチラッと視界に入ることがある程度だから、顔を全然認識しておらず髪型でしか判断していなかった。そのため「変わったかな?」という程度だったのだが、和尚の顔はなんだかキリリとしていた。以前の和尚はちょっと年少な感じの顔立ちだったので「この夏で男子としてのイニシエーションを経験し、男前になったのだろう」と私は勝手に推測して納得していた。フランス語は相変わらず上手かった。
事件は今年の秋に起こった。和尚の顔立ちが、突如としてイニシエーション以前に逆流していたのである。
私は変だなと思ったが、男子は3日あれば豹変するという格言もあるので、恐らくこれがニーチェの言う、獅子の時代を経て赤子に戻るというやつなのだろうと、やはりさほど気に留めなかった。
ところがつい先日、彼が教授から名前を呼ばれて、私の方が仰天したのである。姓が異なっていたのだ。まさかその年で結婚はあるまい。
仏文の教室に“和尚”は二人存在したのである。彼らが同時に現れることがなかったため、誤解していたのだ。