投稿日時:2018/10/13 ― 最終更新:2018/11/17

全集は邪悪である。全集というものは愛好家のエゴの集大成のようなもので、ぞくぞくする。全集をズラッと棚に並べたときの、あの高揚感、その作家の人生全てを集中に収めたかのような充実感は、何物にも代えがたい。全集は、人の持つ征服欲をみだりに刺激する。

特に巻末に集められる、書簡集とか備忘録、書きかけのノートといったものがいけない。取り分け邪悪である。こんな私物を棚に収めてニヤニヤしているのは、ストーカーである。追っかけている作家がポケットからひらりと落ちたハンカチを、発情した犬のように拾って、こっそり持って帰って匂いを嗅いでいるかのような、背徳的性癖である。研究者でもなければ、こんな断片まで拾い集めて悦に入っている姿はなるべく人に見られたくないものである。

私もご多分に漏れず、全集を棚に並べて日夜、鼻息を荒げている背徳の収集家である。夏目漱石、芥川龍之介、太宰治……おぉ、文豪たちの天賦の才の結晶が、私の棚に!全集というものは、大抵は編年体で並べられているから優れている。容易に彼らの人生を俯瞰することができるのだ。ふむふむ、彼は初期はこのような作風であったが、晩年はこのように変遷していき、その理由はこの随筆が語っているのだな……と、何だか分かったような気になれる。

自分の死後に全集が発売されるのが確実視されていた大物作家たちは、先行する文豪たちの全集を眺めてどう思ったのだろうか。私だったら恐怖する。それはまるで、自分が死後に納められる墓場、いや、博物館を見学に行くような気持ちなのではないか。文豪たちの末路とは、作家性の標本化である。処女作以前の恥ずかしい習作から恋文、破り捨てたノートまで、徹底的に収集され、それは紙としてだけでなく、電子の培養液の中で死後永久に展示されるのだ。「文豪に捨てるとこなし」である。作家の栄達とは、悪魔との契約に似ている。

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