「東大には天才しかいけない」という昭和からの迷信は、まったく真逆の話で、現実には「人は凡人だからこそ東大を目指す」のである。実際、周囲を見渡しても、東大にいるのは凡人ばかりである。凡人という言葉に語弊があるなら、優秀な市民たるエリートたちである。

天才はなぜ、東大にやってこないのか。それは、天才は東大に行く必要もなければ興味もないからである。

天才は東大を知らない

その人間が本当に天才だったら、周囲の大人が「こいつはとんでもない神童だ!」と騒ぎ立てて、ギフテッドに対して理解のある海外の大学へ送り出し、飛び級進学しているか、あるいは自身の圧倒的な才能によって自分の興味あるものに狂ったように埋没し、ものすごい発明なり、プログラムなり、哲学なりを考えるのに今頃忙しいので、わざわざ多大な時間を費やして受験勉強して東大に来ることがない。

東大の試験というのは科目数が多く、教養試験的な性格が強い。東大は万能型の生徒を好む。従って基本的に一芸の人間である天才には向かない試験である。万能に向くのは秀才で、従って東大に適しているのはエリートである。

それでも80年代90年代は全体の難度が高かったので、数学で120点満点取るとそれだけで圧倒的に有利であり、一芸人間でもチャンスはあった。しかし現在では絶対難度が低下し合格最低点が上がっているので一科目で突破するのは難しい。これに向いているのは岡田康志のような教養天才タイプだけである。最近始まった推薦入試は、このような欠点を補って一芸型を拾うための制度でもある。

そもそも本当の天才は「俺も東大合格して人生の勝ち組だ!」なんて俗な願望やコンプレックスとは無縁で(というか理解すらできなくて)、東大なんてものはとっくに超越しているし、むしろ自分の望まない受験勉強や学校生活には耐えられない「はぐれもの」なのである。だから天才というのは赤門に偏って集結せず、様々な大学にランダムに生息し、そこで天才の価値を理解できない人たちから「奇人」と呼ばれて過ごしてる。

一方で、凡人というのはそれだけで生きていけるずば抜けた長所もないし、学歴を頼りに手堅く良い就職口を得て世の中を渡っていくのが無難だと心得ているので、大学の受験システムに自分を適応させ、その中の最上位層のエリートが東大に入る。ドラマ版『ドラゴン桜』の「ブスとバカほど東大行け!」という台詞は、極めて正しい。

東大に入学するのは「世の中のシステムに適応するのが上手い人間」であり、これは「人類の外れ値」たる天才の対極的な性質である。

エリートは天才の対極

これは統計的にも証明されつつある話で、エリート的な学歴を重ねる人たちの人生を広く追跡調査した結果では、そういった人々は概して高収入を得て豊かに生活するが、逆に飛び抜けた業績や発見をするような人は全然いない(平均レベルに留まる)のだという。

なぜなら今言ったように、エリートというのは人間社会に適応するのが得意な人間だからだ。エリートは親が、教師が、上司が、社会が望むように、己を柔軟に変化させるのが非常に上手い。つまり常識を深く理解し、自らを社会の中の優位なポジションに置けることがエリートのエリートたる所以であり、逆に天才というのは、社会には決して適応し得ない激烈なサガを持って生まれているからこそ天才なのである。

エリートは危険を冒さない。冒険をしない。エリートは完璧に舗装されたハイウェイをいち早く発見し、そこに乗り込むことに長けた人種である。だから「前人未到の領域」なんてものには踏み込もうとも思わないし、踏み込めない。一方で天才とは、誰も近寄れない領域に生きる深海魚である。

東大生は「地頭が良い」か

「大学受験で偏差値75!」なんていうのは、全くの凡人の延長であって、それは「凡人の頂点=秀才」に過ぎない。ちょっと小難しい英文和文を読みこなせて、数学の解法を沢山頭に入れていて、世界史で普通の人より1,000個多く史実を覚えていて、それのどこが「天才」だというのか。東大生というのは、そういった諸々の学問が「他の人より得意」というだけなのだ。

多くの人は、東大生というのは、いわゆる「地頭」というものが良く、普通の人間がしばらく考えなければ出せない結論を一瞬で引き出し、どんなことでも的確にスラスラ話せるような存在だと思いこんでいる。

確かにそういう人間もいるにはいるが、別にそれは東大生に限らず、自分の意見を作り慣れた人間が自分の分野について話せば誰でもある程度できることであって、授業中の東大生の応答というものを見ていても、これといって才気煥発のおもむきはない。

「天才」という称賛に対する東大生たちの反応は、極めて戦略的である。天才と言われて悪い気はしないので、やんわり否定するか、軽く受け流すかする。そうして曖昧に誤解させたままにしておくが、奇術師が自分の奇術のタネを知っているために自分自身には感心しないように、東大生は自分が東大に入るまでに積み重ねなければならなかったものの大きさを知っているし、上には上がいることも知っているので、本人は自分が天才でないことを誰よりも自覚しているのである。

東大生は恵まれた人間である

私が東大にいて感じるのは、東大生というのは「恵まれた子供たち」ということである。親がそれなりに裕福であり、家庭に余裕があり、勉強しろと叱咤されることもなく、小学生のうちから成績優秀になれてプラスの循環がぐんぐん巡り、ここまでたどり着いてきた、という感じの子供が圧倒的に多い。

東大生は、恵まれた普通の人達なのである。結局人は、自分が絶対に敵わないと思った存在、理解できない存在を言い表す言葉を持たないから、自分より遥かに成績の良い人間を「天才」というカテゴリーにくくって納得することにしている。だから「東大には天才しか入れない」という迷信が生まれる。毎年3,000人以上の「天才」が生まれているというのも、随分おかしな状況だと思うが。

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投稿日時: 2019/09/24 ― 最終更新: 2019/11/18
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