意味のない文章を書きたい!書こうか、書かねばと、いつも意気込んでキーボードの前に座るのだが、どっこい出来上がった記事は、なんだか意味がありそうなのである。やられた!書き損じの文章などというものは、くしゃくしゃにして丸めてポイ、心機一転、次の一筆に進められるのなら、その男はどんなに豪傑だろう。

ところが人間とは、損失を獲得の2倍に見積もるせせこましい存在なので、書き上げてしまうと退っ引きならなくなる。ここで剛毅果断にDeleteキーを押せれば豪傑になれるのに、私は意志薄弱にEnterキーを押してその記事を公開し、凡俗に成り下がるのである。私は、弱い存在です。銀の斧と金の斧とを並べられれば、銀の斧を振りかざして眼前の精霊を撲殺せしめた末に、2本ひったくって遁走するようなエコノミックアニマルです。

このサイトを開始してから1年が過ぎ、書き溜めた記事は200本にも達する。その正体は実のところ、書き損じの200本を、このように弱い心で積み上げたものなのである。つまりこの200本並べ立てた記事は、1本1本が私の決意の墓標であり、今現在その頂点に位置するこの記事はそびえ立つクソである。

「意味のない文章を書くなんて、簡単じゃないか!」と人は笑う。それは浅はかである!岡本太郎が『今日の芸術』の中で、意味のない絵を書いてみなさいと啓蒙していた。ところが岡本自身がその著作で述べているように、意味のない絵を書くのは極めて困難なのである。人はそこに何らかの意味を、バランスを、秩序を生み出してしまうのだ。こうして人は、自己意識という自画像しか描けなくなったのである。

意味のないことを平然とするのは、実は達人の領域なのである。意味のないことを本当にしてご覧なさい。あなたは気狂いだと思われます。理性の時代に無理性なことをするというのは、全裸で街を歩くようなものです。そんなことできません!この「無意味」という曲芸を、映画という表現を通して平然とやってのけるタランティーノという映画監督は、であるから凄まじい仙人か、もしくはただの変態でありましょう。

ところでピンクフロイドという海外の有名なプログレッシヴ・ロックのバンドの、最も際立ったアルバムジャケットに『原子心母』というものがある(下図)。

図:Pink Floyd 『原子心母』1970年

繰り返し書くと、ピンクフロイドは音楽バンドであって農家ではないし、別に曲の内容が牛に関するわけでもない。何故、牛なのか?そこには何の意味もない。ついでにいうと『原子心母』(Atom Heart Mother)というタイトルも、適当に新聞の見出しから採ったものであり、アルバムに縁もゆかりもない。このような無意味を平然とやってのけた結果、『原子心母』はロック界の伝説の1ページとなったのである。

「無意味」には、これほどの威力がある。ピンクフロイドはなぜ、伝説のロックバンドになれたのか。それはひとえに、彼らが全裸で街を歩く勇気を持っていたからである。

全裸で外を歩けたら!ところが「全裸で歩けば、伝説になれる」と分かっていても、人はおいそれと全裸で歩けるものではない。全裸のまま玄関で立ちすくむ私は、そのままキーボードを前に意味のあることを書き出してしまう私そのものである。あぁ、私はこの文章を書いている今も、裸のままシューズを履いて立ちすくんでいるのだ。全裸で外を歩けたら!全裸で外を歩けたら!

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投稿日時: 2019/09/14 ― 最終更新: 2019/09/23
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