投稿日時:2019/07/01 ― 最終更新:2019/07/16

その日、蟻たちは思い出した。

ヤツらに蹴飛ばされた恐怖を……
巣穴の中に濁流を流し込まれた屈辱を……

蟻たちが長く平和に暮らしていた巣窟「ホール・マリア」が陥落してから5ヶ月が過ぎた。あの日以来、彼らの活動領域は公園の片隅にある「ホール・ローゼ」まで後退し、今この瞬間にも、あの恐るべき巨人たちが、彼らの住居に再び熱湯や爆竹を投げ込んでも、何ら不思議ではなかった。

巨人……あの憎むべき巨人たち。蟻族は、自分たちにとって最も危険な巨人は「無垢の巨人」であると認識していた。無垢の巨人は、小さい個体で1,000mm級、大きい個体では1,400mm級にもなり、主に日差しの厳しい午後2時から6時頃に出現した。無垢の巨人は、蟻たちを見つけると奇声をあげながら踏み潰したり、蹴飛ばしたり、思い思いの方法で虐殺を行う。しかも科学グループの研究によれば、彼らは蟻たちを捕食するために攻撃を加えるのではなく、専ら楽しみのために攻撃を加えてくるのだという。まさに悪魔の所業。

巨人の中でも取り分け注意が必要なのは「奇行種」と総称されるタイプの巨人である。大抵の無垢の巨人たちは群れており、蟻たちが進路上に発見されなければ、積極的な攻撃には出ない。しかし奇行種は大抵群れから少し外れた場所にいて、一人で遊んでおり、公園内を不規則に散策したり、突然奇声をあげ巣穴を木で突っつき破壊するなど、予測不能な行動を取る。そのため無垢の巨人らが巣穴から離れた場所にいても、全く油断できない。

蟻族の若き兵士アレンは、蟻族が繁栄し巨人を覆い尽くすほどになった暁には、一匹残らず駆逐してやると、心の中で憎悪と闘志を燃やし続けた。その親友ハルミンは一方、夢を抱いていた。遥か彼方にあるという、果てしなくしょっぱい水の山、「海」に到達するという夢である。

さて、蟻たちも大人しく屈辱に耐えているわけではない。調査蟻団からの報告によると、現在、無垢の巨人たちはホール・マリア周辺の遊具に飽き始め、少し離れたブランコ周辺で遊ぶようになっていた。この機会こそ、ホール・マリアを取り戻す千載一遇の好機である。報告と共に、直ちに「ホール・マリア最終奪還作戦」 が立案された。

またこの頃、蟻たちの危機に際し、一部の蟻たちの背中からは、にわかに薄い半透明の皮膚を生え始め、天空を駆けるようになっていた。蟻たちは、背中に生えたこの不思議な皮膚を「立体飛翔装置」と呼んだ。「ワシが若かった頃にも、同じように巣の危機が訪れ、一部の者の背中から、この立体飛翔装置 が出現した。これこそ我ら蟻族が天から選ばれた種族であることの証。反撃の時は来たれり」そう涙ながらに語ったのは、蟻族の最長老である。

ついに奪還作戦決行の日がやってきた。暑い夏の日のことである。作戦は夕刻、耳障りな巨人どもの声が天に響き渡り、無垢の巨人らがぞろぞろと去り始める午後6時に決行された。調査蟻団の団長であるハルヴィンに率いられ、蟻族は総力を結集してホール・マリアへと行進を開始した。アレンとハルミンも調査蟻団の一員として、この最終奪還作戦に参加していたことは言うまでもない。

しかし行軍が開始された直後、突然、空から巨大な岩が降ってきて、不幸なハルミンはアレンの眼前でその岩に潰された。ハルミンは下半身が押し潰され、叫ぶ間もなく即死した。岩はその後も遠くから連続で降ってきた。岩の来る方角を見ると、1,600mm級はあろうかという巨人が、遠くから投げつけてきているらしかった。

凄まじい混乱と恐怖が蟻族を襲い、隊列が大きく乱れた。もはやこれまでか、と思った時、団長のハルヴィンが叫んだ。「兵士よ怒れ!兵士よ叫べ!兵士よ戦え!」そう言うと彼は隊列を脱し、猛烈な勢いであの恐るべき巨人に突撃していったのだ。そして何匹かの蟻も彼の勇姿に続いたが、次の投石であっという間に細切れになった。それを見て怒り狂った蟻の中には、立体飛翔装置でその巨人に襲いかかる者もいた。

だがそのスキに、アレンらはホール・マリアまであと一歩というところまで迫っていた。ホール・マリアは、我らが奪還する。死んでいった者たちに意味を与えるのは、我ら生者である。そう決意したアレンの勇猛な行進は、行進というより進撃であった。進撃の蟻たちは、自由を求めて突進し続けた。

っと、最前列にいた蟻が警戒の叫びを挙げた。奇行種だ!見れば、1,200mm級と思われる奇行種が一匹、彼らが眼前に立ちはだかっていた。が、その奇行種は奇行種らしく、彼らを襲う様子を見せずに、奇妙なほどモジモジしていた。おのれ奇行種、この期に及んでまだ邪魔立てするか。奇行種なにするものぞ。アレンたちの進撃は止まらなかった。

するとその奇行種は、これまでに見たことのない、また一段と奇妙な行動に出た。奇行種の下半身が突然脱皮を見せると、その身体から黄色く汚れた水が怒涛のように流れ出し、ホール・マリアを目前にした蟻族を押し流したのである。蟻たちの隊列は完全に崩壊した。

アレンもまた押し流された。止めどない奔流に身体の自由を奪われ、為す術なく流される中で、その黄色い水がアレンの舌に触れた。しょっぱい。そうか、これがハルミンの言っていた「海」なのだな。俺は今、「海」の中にいるのだ。アレンは手足をジタバタさせて抵抗を続けたが、その甲斐虚しく、黄色い「海」にひたすら押し戻され、とうとう元いた穴の中にストンと落ちてしまった。

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