締切に追われていた。他人から課せられるレポートは苦手である。もうどんなに自分が大好きな領域であっても、他人にやれと言われた時点で相当やる気が失せる。何故なら人間の本能が求める最大のものは、いかに好き勝手に振る舞えるかという自由権にあるから。好きな女性にチューしろと言われても、それをやったら単位をやる、金をやる、億万長者だと言われたら、もうかなりウンザリする自信がある。

現代文芸論の世界文学の講義で、中間レポートを提出せねばならなかった。締切当日まで一切手をつけなかった。ようやく重い腰を上げたのが締め切り3時間前で、その時ちょうど別のフランス文学の講義の真っ最中だった。

さてこのレポート、講義中に取り上げた作品や議論の中から好きな作品を取り上げて比較論や翻訳論を割と自由に論じてよかったので、じゃあ『ライ麦畑でつかまえて』にするかと、課題を出された時から決めていた。私は訳書の読み比べが趣味の1つで、翻訳論などというテーマは私にとってむしろご褒美であり、取り分け『The Catcher in the Rye』の野崎訳 vs. 村上訳などという、胸躍るテーマでゴタクを並べて単位取得、ひいては卒業資格が与えられるのだから、これはボーナスステージ以外の何者でもなかったのである。

そうは言っても残り3時間を切っていたのだが、原書は受験時代に読了していたし、それらしき翻訳論争の箇所は知っているから、2時間で中間レポート2,000字は楽勝だろう、と高をくくっていた。

ところが図書館に寄って絶句。本郷キャンパスには『The Catcher in the Rye』の訳書が一切なかったのである。まさかこの知の中枢で、アメリカ文学史上でも最強クラスの作品の訳書がないなどとは、誰が予想できよう。青天の霹靂。日本の「知」の退行。唖然呆然サザエのつぼ焼き。教育的犯罪。若者の活字離れ。さようなら文学部。

駒場キャンパスまで行くと、往復だけで2時間近くかかる。 家に帰れば原書も訳書も存在するが、やはり相当時間を消費して書く時間がなくなる。やはり昨日家で『ランボー/怒りの脱出』を観る時間でレポートを書き上げておくべきだったのだ。

実は文学部専用図書館に行くとあるかもしれなかったが、この図書館に入るには荷物をロッカーに預けなければならない。100円硬貨が戻ってくるタイプのやつだ。しかし運悪く財布に5,000円と1円玉しかなかった。5,000円は両替しにくい。樋口一葉の呪い。

私は落ち着いている。私は落ち着いている。仕方ないので究極の奇書『裸のランチ』をカバンから取り出して読み、精神統一をはかる。『裸のランチ』は著者のバロウズ本人が後から読んでも理解不能だったという、カットアップ技法で生まれた言語表現のゴミ屋敷である。あまりにも意味不明な書物なので、読んでいる途中でハッと我に帰り物事を冷静に考えられるようになる。なるはずなのだ。

残り1時間半。こんなことをしている場合ではなかった。私は『裸のランチ』を投げ捨てると、文学部ラウンジへ駆け込んでPCの電源を入れ、大嫌いなMicrosoft Wordを吐きながら立ち上げる。

私は今から『The Catcher in the Rye』の翻訳について2,000字ほどのレポートをしたためようとしている。ところが原書も訳書も手元には存在しない。ここで出来ることと言えば「『ライ麦畑でつかまえて』は誤訳か?」という議論に関して、あらん限りの知識を以て原稿を埋め尽くすことだけだった。幸い、これは中間レポート。細部の粗や怪しげな議論は大目に見てもらえるだろう。

私は書いた。そしてなんと、意外とあっけなく書き切れた。というか時間が余った。2,000字に早めに達してしまったので、『博士の異常な愛情』を例に出した苦し紛れの分析はしなくて済んだくらいだ。キャンパスを動き回り腹が減ったので、学食で味噌ラーメンを食べてから大教室へ向かった。

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投稿日時: 2019/06/17 ― 最終更新: 2019/09/16
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