社会は常に病んでいて、人は誰しも狂ってるから、自己批判性こそが人間の条件、という話

2021/11/05 ・ 雑記 ・ By 秋山俊

タイトルで全部書いてしまったからもう書くことがない。以下は蛇足。

さすがに現代社会が「健全」だと考えている大人は絶滅危惧種だと思うが、自分は狂ってないと信じ込んでいる人にはままぶつかる。

しかし人間というのは多かれ少なかれ、淑女であれヤンキーであれ、当たり前の人間の顔の下でどこかが狂っている。「多分自分はなにかおかしいんだろうな。当たり前はどこかで当たり前じゃないんだろうな」という自己批判的な態度でようやく、「とんでもなく狂ってる」が「割ととんでもなく狂ってる」くらいに緩和されるので、自分に対しての懐疑を手放さないことが肝要だ。自分を十全に信頼した瞬間、とんでもない狂人が世界に解き放たれてしまいかねない。そうならないと誰が言えよう?

ラカン的な見方をすると、人間は自分の姿を鏡で見て、「これが自分なんだ」という循環論法的な誤謬をおかした時点で、あらゆる問題解決や意思決定の出発点たる「わたし」というものに錯誤を抱えている。そのため、そこから派生するあらゆる思考や行為に歪みを抱え続ける宿命を背負っている。

だから人間は常に分裂すると同時に、分裂している自分のことを平気で統合されていると信じているアサイラムの住人で、誰もが部分的に発狂していることは、言語という虚構を生存のための道具にした人類の、契約の代償である。

病院の外は言語の存在しない荒野である。人間は言語なしに生活できない。したがって我々はこの精神病棟から脱出することはかなわない。

しかしずっと病院で過ごしているのに、本気で「自分は狂ってない。ここは私の家だ。今日も天気が気持ちいいなぁ。上司(本当は主治医)が呼んでるからまたあとで」と信じ込んでいる「重症度:4」の人間よりかはいくぶんマシになれる。「自分は狂っていると自覚し、それを自己批判することによって、わずかにマシになっている」と信じ込んでいる狂人、「重症度:3.5」くらいにはなれるだろう。

「重症度:3.5」の患者は少しだけ落ち着いていて、ちょっとはまともっぽい会話も可能だ。少なくとも「おまえを助ける!」と言いながら相手を木刀で滅多打ちにしたりする危険性は、「重症度:4」よりは低めだ。

そうなれば、少しは自由の許される、ちょいとばかり広めのホールをうろついて、鉄格子のない窓から、もう少しクリアに外の世界を眺めることが許されるだろう。蛇足が長すぎた。

満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよく、満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスである方がよい。

It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.

J.S.ミル 『功利主義論』

自分達はマトモなはずなのに、どこかで浮き上がっている。それは、自分達がまだ比良野に慣れていないとか、比良野に生まれ育ったわけじゃないから知らないことが多い――というようなことじゃない。

きっとオレ達は、日本のどこへ行っても“なんかヘンだ”と言い続けているだろう。オレ達は浮き上がって、“なんかヘンだ”を感じている。でも、“なんかヘンだ”を感じ続けることこそが、オレ達がマトモだという証拠なんだ――そういう風に感じているのはオレ達だけじゃないはずだ。絶対に他にもいるはずだ。どうしてそういうやつがオレ達のそばにいないんだ?いつまでオレ達は、そういうマトモなやつがやって来るのを待ってるんだ?

橋本治『人工島戦記』

人間というものは不思議な多面体で、当人がどう辻褄を合わせようと、その内部は平気で分裂している。「自分はカクカクシカジカであるような人間だ」と当人が納得しても、ハタの人間からは、「そうかァ?違うだろうが」と言われてしまうような多面体なのである。

当人は平気で分裂している多面体なのだが、しかしここに困ったことが一つあるというのは、平気で分裂している当人の頭は“一つしかない”ということである。

当人は平気で分裂しているのだから、その当人の頭の中だってその分裂に合わせて複数の思考体系があればいいようなものだが、しかし残念なことに、人間の頭の中というものは、「自分=1」という考え方に従って、一つの思考体系しか持たないようになっているものなのである。

「自分=1」の公式にのっとって思考の体系を一つしか持っていない人間は、だから、「自分というものはカクカクシカジカのものである」という規定をする。頭は真面目だから、そういう表向きのスッキリ構造ですませているのだが、そういう頭脳によってまとめられてしまった体の方は、「オレはそんなに素直じゃねェよ」で、平気で分裂している。分裂していても、それを把握している頭脳の方は、「そんなに自分がゴチャゴチャあったら混乱して分からなくなっちゃう……」と思っているのだから、“余分な自分”というものを切り捨ててしまう。

橋本治『人工島戦記』

(ヘッダー画像:ギュスターヴ・クールベ「絶望」)

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初版:2021/11/05 ―― 改訂: 2021/11/08

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