本を「あとがき」から読まない、という選択肢

2021/11/04 ・ 雑記 ・ By 秋山俊

幼少の頃より私は、食べ物を「ばっかり食べ」することを親に怒られていた。怒られ続けていた。

目前に食事が並んだあと、まず「いただきます」の号令とともに、ピラニアに喰われたのかと思うほど、ポテトや魚だけ煙のように消えてしまう。そのあとに丸々と、主菜を欠いたお米が残るというわけである。

私はこういうときに、ケダモノのように自制を欠いてしまう性分なのだ。そして親から「食べ物はバランスよく食べなさい」と怒られ、「ハイ」という一人前の返事だけが兵隊のように即座に飛び出し、心の中で「次も絶対に肉だけ先に平らげてやるんだからな」と誓うのであった。

これは読書についても同じで、小生、秋山にとっての読書とは、まず「あとがき」から読むことを基本とする。もう少し具体的に書くと、私は本というのは、一番読みたい箇所から、読みたい順に読むべきだと思っている。取り立てて先に読みたいチャプターがない場合は、たいてい、一番気になるのは「あとがき」なので、「あとがき」から読むのは必然である。

しかしこういうことを言うと、大抵の人は眉をひそめて「それは邪道」と言う。また「あとがき」の中に、「世の中にはあとがきから読む人もいるらしいですが……」などと牽制球を混ぜている作者もたまにいる。そして私はやはり三つ子の魂を発揮して「大きなお世話だ。次も絶対にあとがきから読んでやるんだからな」と誓うのである。

なにしろダ・ヴィンチも「まず最初に、終わりのことを考えよ」と言っているし、シェイクスピアも「終わりよければ全てよし」と言っている。実はそれはあまり本件に関係ないが、まあとにかく、私は物事を整理するには、始点と終点を結んで方向性を確認するべきだと常に考えている。だから序文、あとがき、そして目次を最初にたんと読んでおくと、その本全体の方向性が判って理解度が向上するというのは本当だ。

またバイヤールの『読んでない本について堂々と語る方法』ではないが、序文あとがき目次の三点倒立だけで本の内容を推測できそうな場合は、推測してみるというのも有効な読書方法である。私は読書中であっても、常に論理を先読みして「答え合わせ」しながら読むことは、訓練にもゲームにもなるし、読む愉しみが増えて有益だと思う。

夢中で読書してしまうことを表す言葉として「巻を措く能わず」という言葉がある。これは私にとって場合による。示唆に富んだ本の場合、あえて本を閉じ、自分なりに考えて結論を出しながら読み進めた方が面白くなると思う。私はたまにこれをやり過ぎて、自分一人で十分納得できる結論を出して自己完結してしまい、本を読む必要を感じなくなってそのまま閉じっぱなしということもある。

テキスト系記事の一覧

初版:2021/11/04 ―― 改訂: 2021/11/05

同じテーマの記事を探す