完璧なカップヌードル カレー味

2021/08/25 ・ 雑記 ・ By 秋山俊

カップヌードルのカレー味が好きだ。カレー味が好きだというのは嘘だ。カレー味が好きではないのというのは嘘だ。

幼時から父は、私をよく、行きたくもない山へと連れて行った。登山部だった父は一人でいい気なものである。私は家でゲームをしたかったので不満だった。しかし行ってみると案外愉しいもので、この時から私の散歩趣味は芽生え始めた。

山頂か、あるいは目的地に着くと、父と私は決まって湯を沸かしてカップヌードル カレー味を食べた。登山して食うカップラーメンよりうまいカップラーメンは、日本中のどこのコンビニを探しても売っていない。この時の感動から私はカレー味を特別に愛好するようになった。

しかし私は未だに完璧なカップヌードル カレー味を食べたことがない。

完璧なカレー味を食べることは不可能だ。まずこの食品は、ルーが存外、溶けにくい。他のカップラーメンは粉を使っているので問題ないのだが、カレー味はルーを使っている。温度の低いお湯を用いるのは論外で、箱の底に残留したルーの量を見ると、カップヌードル初心者が一発で分かる。

ルーを的確に溶かしたとしても、問題はまだ残っている。それはルーが、ニンジンやジャガイモなどの具のくぼみに、粉状に付着したまま残ってしまうことである。これを取り除くのはかなり困難である。まだある。具材の肉が、中途半端な硬さで残りやすい。妙に固くなったり柔らかくなったりする。これは製品側の問題かもしれない。最近は改良されたのか、以前よりバラつきが減った気がする。

完璧を求めるほど、カレー味は食べる者から無限に遠ざかる。なぜ私は完璧なカレー味を食べることができないのか?

「完璧なカップヌウドル カレヱ味、それはιδέαイデアに過ぎない。」

ある者はプラトンを援用してカレー味を解釈する。

「完璧なカレヱ味は実在しない。完璧な三角形が実在しないやうにね。それは人間の精神の中にしか存在しないのだ。現実世界のカレヱ味は、人間精神の内側に存在する理想のカレヱ味の影に過ぎないのだ。」

我々は、完璧なカレー味を夢想することはできる。しかし、決して現実にそれを食すことはできない。現実のカレー味は、必ずどこかに綻びを持っている。チーズカレー味は、このようなカレー味の無謬を求める人間が生み出した、一つの歪んだ完成形に過ぎないのか。

私は不完全なカレー味を食べるたびに……つまりカレー味を食べるたびに、「もっとうまいカレー味を食べられるはずなんだ」という欲求不満を抱える。

カップヌードルのカレー味が好きだ。カレー味が好きだというのは嘘だ。カレー味が好きではないのというのは嘘だ。完璧なカレー味よ。おまえはいつ私の前に姿を現すのだ?

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初版:2021/08/25

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